就活ではアナウンサー試験にも

 多くの大学生がそうであるように、友田さんも大学3年生で就職活動を開始した。主にメディア関係の企業を受け、アナウンサー試験にも通った。「“お笑いサークル所属”が有利に働くという情報があったから」という合理的な理由だった。

「それでエントリーシートを出したんですが、今考えるとヒヤッとしましたね。あのままなんの意志もないまま選考が進んでいったら、どうなっていたんだろう……と」

ーーどうなっていたと思いますか?

「2年くらいで辞めていた気がします。そうやって結局お笑いの世界に戻ってくる人が多いんですよね。みんな未練があるんだと思います。僕自身は"いまエントリーシートを出している企業で、自分は本当に働きたいのかな”という疑念がありながらも、そのまま就職活動を続けていて。どっちつかずな状況ではありました。そしたら今の事務所にスカウトしてもらい、その数か月後に大会の決勝に行けたので、自分としえては安心というか、"これでプロになってもいいのかな”という考えて至ったんです」

 両親もまさか息子がプロの道を歩むとは思っていなかった。

「親からは、大学在学中は“就活しながらなら芸人をやってもいい”と言われていたんですけど、4年生の途中でお願いしたんです。“もう就活辞めます。3、4年は芸人をやらせてください”と」

ーー3、4年という数字はどこから?

「芸人は5年やっても芽が出ないなんてザラだと思いますし、まだわからないこともあるので、自分の集中力を鑑みて3、4年かなと。だから"3、4年は見ていてください”とお願いしたんです。そしたら大学を卒業して2年くらいで『R-1グランプリ』で優勝できたので、親は安心してくれているかな、というところですね」

 優勝時23歳は、2019年に優勝した霜降り明星の粗品さんの26歳を更新し、史上最年少優勝記録を更新した。さらに事務所所属から3年という芸歴も、史上最短芸歴という冠がついた。輝かしいスペックに若気の至りでなくても調子に乗りそうなところだが、友田さんは地に足がついていた。

「多少自信はつきましたけど、やっぱりライブとかに毎日出ていて“そんなに生ぬるい世界じゃない”とわかっているので。お客さんもシビアだし。だからそこで調子に乗ることはないし、自信はないです」