半年の間に、胸を締め付けられるような話がいくつも出てくる

 純烈初の日本武道館公演の舞台裏を追いながら、公演を観にきてくれた、何組かのファンの方々の姿を描写したドキュメンタリーです。

 始まったのは3年ぐらい前ですね。テレビ番組の企画で監督やプロデューサーと出会って、僕らのことを面白がってもらえた。そんな中で、たまたま武道館公演が決まったり、メンバーの脱退劇が起こったり、いろんな出来事が次々と重なっていったんです。また、「推し活をしている人たちも面白い」となったんですよ。そこで、武道館に観にくる人に協力をお願いしたら、300通の応募がきて、その中から何組かに絞り込んでいきました。

 映画に出てくれたファンの人たちには、それぞれいろんな人生があります。しんどい思いをしてきた人、悲しい経験をしてきた人、今も苦しい状況にある人……。それでも“純烈に会いたい”って、武道館に来てくれた。映画では、武道館公演の半年後、皆さんがどんなふうに暮らしているかも追っています。すると、半年の間に、ほんまにえぐい話、胸を締め付けられるような話がいくつも出てくるんです。

 僕は今50歳ですが、もう、ぎゅうぎゅうに出し切っていて、これ以上はもう出せないと思っていました。思い返すと、武道館の前までは、岩永(洋昭)の卒業でメンバーが3人になることも決まっていたし、裏方としての仕事を増やして、一歩引くことも想定していたんです。

 ところが、あんなにリアルなファンの皆さんの姿を見てしまった以上、「もっと頑張らなあかんな」と思わざるを得ないですよ (笑) 。

 映画に出てくれたのはごく一部のファンだけですけど、それだけでもあれだけ深いドラマがあった。 ということは、全体で考えたら、もっとさまざまなことが起こっているはずですよね。

 それを想像すると、少しでも多くの人に元気になってもらおうという気持ちになりました。ちょうど15周年なので、「原点回帰したい」って思っていたんですよ。そのタイミングで、ハイオク満タン状態です。考えてみたら、今回の映画のタイトルに入っている「死」という文字は、原点回帰ともつながっているんです。僕が純烈を着想したときも、人間の「死」が頭にあったので。

ーー 「天命を全うするとき、最後に聴きたい曲ってなんやろ?」そして、ムード歌謡を意識するようになった理由とはーー

(つづく)

酒井一圭(さかいかずよし)
1975年6月20日、大阪府生まれ。歌謡グループ『純烈』のプロデューサー兼リーダー、俳優、作詞家。85年に『逆転あばれはっちゃく』で子役デビュー。一時活動を休止するが、94年『横浜ばっくれ隊』で俳優業を再開し、98年にはハリウッド映画『シン・レッド・ライン』に出演。2001年には『百獣戦隊ガオレンジャー』でガオブラック役を務めた。05年にはプロレスラーとしてデビュー。また当時、新宿のトークライブハウス「ロフトプラスワン」のイベントプロデューサーとしても数々の企画を手がけた。07年、「紅白に出て親孝行しよう」と歌謡グループ・純烈を結成。メンバーの増減を経て、現在は3人編成。大の競馬好きで、競馬評論家・馬券予想家としても活躍。2022年には地方競馬の馬主資格を取得している。

映画『純烈ドキュメンタリー死ぬまで推すのか』
初の武道館公演『純烈魂』の舞台裏に密着し、グループの軌跡を追う。また、純烈ファンを支える“推し活”とは何なのか? なぜ、純烈は愛されるのか? 人生の試練を乗り越えてきたファンの姿も描く。
(c)2025 死ぬまで推すのか製作委員会
9月5日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか期間限定公開