歌謡グループ『純烈』のプロデューサー兼リーダー・酒井一圭。子役デビュー以降俳優として活躍する他、プロレスラーとしてデビューしたりイベントプロデューサーとして数々の企画を手がけるなど、幅広い活動を行う彼のTHE CHANGEとはーー。【第2回/全2回】

2007年、俳優をやっていた僕は、ある映画の撮影中に骨折して入院しました。そのとき、なぜか夢に内山田洋とクールファイブが出てきたんですね。これは何らかの啓示かもしれないと感じ、ムード歌謡を意識するようになったんです。
また僕は、“皆さんが天命を全うするとき、最後に聴きたい曲ってなんやろ?”って考えました。それは、多くの人が10〜20代に聴いた音楽なんじゃないかと思ったんです。
1968年のオリコンの第1回ランキング1位は黒沢明とロス・プリモスの『ラブユー東京』なんですよ。ということは、当時20歳だった自分の母親の世代は、みんなムード歌謡を聴いていたわけなんです。
だけど、ムード歌謡を歌う人たちはどんどん減っていって、当時は新しくやろうとする人なんておらんかった。「誰が歌い継ぐねん?」ってなったときに、「これ、いったろう!」と思って、メンバーを集めました。それが純烈です。
おかげさまで、目標としていた『紅白』には7年連続で出ることができましたし、武道館公演にもたどり着くことができました。
映画の中で、僕は純烈がここまでやってこられた理由を「運」だと言っています。でも、運を掴んだら次に必要なのは決断です。その繰り返しなんです。それを続けていけば、きっといい方向に行く。ネガティブなことがあっても、そこに運が隠れております。運は「どうも、運です」って来ないんですよ。
いろいろなアイデアというのは、スケジュールをこなす中で、必死に考えています。でも、それはもう、心臓を動かすとか、呼吸をするのと同じレベルで、考えることを基礎代謝に落とし込んでいます。だから、寝ている間にも思いついているということ。とても効率がいいんです。