舞台『ぼくらの七日間戦争2025』に出演する野々村真さん。約4年ぶりとなる舞台出演は大きな刺激となると話す。キャリアのスタートとなった『笑っていいとも!』出演のきっかけから、「いいとも青年隊」の解散、『世界・ふしぎ発見!』での経験など、人生に訪れた様々な転機を振り返っていただいた。永遠の“野々村真くん”が生まれるまでに出会った「CHANGE」とは。【第4回/全4回】

野々村真 撮影/三浦龍司

『笑っていいとも!』と『日立 世界・ふしぎ発見!』という長寿番組に出演した野々村さん。実は関西地区では長きにわたってコメンテーターとして朝の顔を務めてきた。

「ABCの『おはよう朝日です』という老舗番組に1999年から約21年出させてもらいました。普通、コメンテーターって2年ぐらいで交代になるんですけど、なぜか21年もクビにならずに居続けました(笑)。東京の人間が大阪の朝の番組に出るって、普通に違和感じゃないですか。しかもジャイアンツファンだし。

 ただ、逆に阪神ファンの中に放り込まれた巨人ファンみたいな構図が良かったのかもしれないですね。みんなツッコミ放題、笑いにし放題という感じのポジションでしたから。だから、大阪に行くと、お母さんたちから声をかけられるんですよね。“あんた、もっとしっかりしぃや”、“クイズ見てるけど、あれじゃあかんわ”って(笑)」

 大阪に限らず街で声をかけられることが多いという野々村さん。その声をかけやすい雰囲気はやはり、『ふしぎ発見!』での印象からなのかもしれない。

「僕はクイズに一生懸命答えているだけなんですけど、ポンコツな答えになってしまう(笑)。難しすぎてわからないだけだったんです。僕があんな感じでやるようになって、それからクイズ番組には必ず5枠にあさっての方向の答えを書く人が入る、みたいのが定番になりましたよね。芸人さんたちが5枠に入る、というクイズ番組の定番形式はここから始まったらしいですね」