「山崎邦正」としてテレビのバラエティ番組で活躍していたヤマちゃんは、今、落語家「月亭方正」として活動を続け、その評価を高めている。落語の道を歩み出して17年。その転機となった瞬間は? 若手時代の苦悩とは? 芸人人生を振り返るその語り口は高座のように軽快だ。【第3回/全4回】

月亭方正 撮影/三浦龍司

 20年前、東野幸治さんの勧めで落語に出合ったことで生まれた「CHANGE」。最初の出会いが桂枝雀であったことも大きかったという。

「最初に枝雀師匠を聞いてみ、と勧めてくれはったのが良かったですよね。例えば円生師匠の『芝浜』とかを最初に聞いてたら、僕、引っかかってなかったかもわかりません。辛気臭いなぁ、とか言って(笑)。今となっては素晴らしいネタやってわかるんですけど、当時だったらたぶんそうですね。だから出会いですよね。タイミング。言っていただいた人、周りの環境、すべてありがとうございます、という思いです」

 そして出会いという意味では、師匠・月亭八方さんのもとについたことは大きな「CHANGE」となる。大阪での飲み仲間でもあった月亭八光(月亭八方の息子)を通じて弟子入りを志願する。

「八方師匠をひと言で言うたら“漢”です。一番それを感じたのは僕が、上方落語協会に入るとき。師匠と出会ってから1年半後に、師匠の“入りたいか?”に“入りたいです”って答えて、“本気か?”、“本気です”みたいな短いやり取りがあって、“お前が上方落語協会に入るっていうことは、ここから辞めるって言ったら、もうこの世界を辞めなあかんで”って言われて。“はい、ぜひお願いします”と。