反抗期の頃になると父を批判的に見ていた
ライターを始めたのは学生時代。たいした経験があるわけではないのに、最初からプロ意識だけは強くて、すごく意気がっていました。「ギャラが出なければ原稿は書かない」みたいな感じで (笑) 、大学の同人誌などには一切書かなかったです。当時は音楽雑誌の全盛期で、学生の僕にも、文章を書かせてもらえるプロの場が、けっこう与えられていたんですよね。
外タレのライブを観に行って、関係者のような顔をして終演後もバックステージ付近に居残り、そのまま打ち上げにも顔を出す。時にはそんな無謀なこともして、少しずつ人脈を広げていました。先日出した本も、そんな20代の頃の原稿をまとめたものです。
そんな僕が音楽を好きになったのは、間違いなく父の影響です。父は昭和一桁世代で、舶来好き。特にジャズが大好きでした。小難しいジャズも聴いてはいましたが、家族といるときは、理屈抜きで楽しめるグレン・ミラーやデキシーランド・ジャズなんかをよく聴いていました。
父には、ジャズのライブにも連れて行ってもらいました。よく覚えているのは、ソニー・ロリンズが僕の住んでいた福岡にやって来たときのこと。高校1年、15歳の夏でした。終わった後に、ピアノがあって、きらびやかなお姉さんがいる中洲のお店に父と行きました。どうやら行きつけらしく、父もちょっといい気分になっていたんだと思います。「母さんには内緒だぞ」って耳打ちされて。お店では、篠ひろ子みたいな雰囲気のキレイなお姉さんたちから「15歳がこげな所に来たらいかんよ」なんてからかわれるわけですよ。すると、父が「まあまあ、今日は勘弁して」と笑顔でごまかしたりして。そんなやり取りを覚えています。
ただ、あまりにうれしかった僕は、家に帰ると、母にペラペラと話してしまって……結局、父は母からこっぴどく叱られていましたね (笑) 。
父は音楽だけでなく読書も好きで、本棚には小説に加えて、開高健の『オーパ!』、小田実の『何でも見てやろう』、他にも本多勝一の著作集なども並んでいました。
ただ、世界紀行を題材にした彼らの本を愛しながらも、父は月曜日の朝早くから会社に出掛けて仕事をするのが日常で、勤め人として生きているわけです。
僕は反抗期の頃になると、父は自分が望んでいた生き方とは、まるで違うことをしているじゃないかと、批判的に見ていました。今になって考えれば、家族を養うために、父も本当に必死で大変だったことが理解できますけどね。そして、父が歩んだかもしれない異なる人生を、息子の僕は、好きな音楽を仕事にすることで歩ませてもらえているのかな、と思ったりもします。
(つづく)
松尾潔(まつお・きよし)
1968年、福岡市生まれ。早稲田大学在学中からR&B・HIP HOPを得意とする音楽ライターとしてキャリアをスタート。国内外で音楽プロデューサーとして活動、これまで平井堅、CHEMISTRY、EXILE、JUJU、由紀さおりなどを手掛けた。
『松尾潔のメロウなライナーノーツ』
松尾 潔(著)
定価3300円
リットーミュージック
現在はプロデューサー、ソングライターとしてヒットを飛ばす松尾潔氏が、1990年代に執筆した膨大な数のライナーノーツから52本を自身が厳選。日本音楽界におけるR&B受容の記録がここにある。