モデル出身で、12歳で映画デビュー。その後、メンズノンノ専属モデルやMTVジャパン初代VJを務めたマーク・パンサー。1995年からは音楽グループ「globe」のメンバーとして230万枚売上の大ヒットシングル「DEPARTURES」を含む数々のメガヒットを生み出し、活動を続ける彼の人生のTHE CHANGEとはーー。【第1回/全2回】

マーク・パンサー 撮影/河村正和

 僕はフランス人の父と、日本人の母の間に生まれたハーフです。生まれはフランスのマルセイユで、2歳の時に帰国。母の実家が東京南千住のコツ通りで質屋を営んでいて、そこの蔵に家族で転がり込んで暮らしていました。

 その頃、母が僕をあやしている姿を父が撮ったら、その写真がリプトン紅茶のポスターに使われて。それが僕の芸能人のキャリアのスタートになりました。母はすっかりステージママみたいになって、どんどん子供モデルとしての仕事が増えてきて。でも、幼稚園に通っていた時には、その容姿から相当、差別を受けましたね。「金髪人形」、「ガイジン」って呼ばれたりして、野球をやりたくても仲間に入れてもらえなかったり……という生活。今でも、忘れられません。

 その後、男性ファッション誌『メンズ・ノンノ』の仕事をやるようになりました。僕は初代専属モデルになって、同期のレギュラーモデルは、大沢たかおさんや阿部寛さん。すごいメンツですよね。撮影では、みんなクールでカッコいい感じの顔で映っていたけど、僕だけはずっと笑顔。それは、父からの教えの「スマイル・イズ・マネー」を守っていたから。

 モデルの仕事にかかわらず、どんな仕事でも笑うことが大切で、笑えば欲しいモノが手に入る……という、父にとって人生をサバイブするための考え方だったと思います。僕でいえば、モデルのお仕事って自分を売り出すためじゃなくて、その商品を多く売るため。そんな考え方をしていたので、カッコつけることより笑顔を大切にしてきました。それがモデルの仕事を長くやれた大きな理由だと思っています。

 それからTK(小室哲哉)と出会ってユニット「globe」を結成して、今年でちょうど、結成30周年です。ボーカルのKEIKOは「globe」に入るまではホテルの受け付け業務かなにか普通のお仕事をやっていて、大勢の人前で歌うという経験はなし。僕以上に緊張していたし、不安もあっただろうから、最初のうちはTKと僕とでKEIKOを守って大事にしていこうと話してました。