1980年『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)で注目され、『ものまね王座決定戦』(フジテレビ系)でブレイクしたコロッケ。ちあきなおみや美川憲一のモノマネでお茶の間を爆笑の渦に巻き込んだ彼のTHE CHANGEとはーー。【第1回/全2回】

中学校の頃に1つ上の姉が学校でものまねをやって人気者だったんです。それが羨ましくて自分でもものまねを始めた僕は、高校2年からは地元・熊本のスナックに出入りして、ネタを披露していました。
もともと新聞配達をやっていたのですが、当時は200軒配って1万円もらえるかもらえないかくらいだったんですよね。ところが、スナックでちょっとものまねをやるとチップで1000円、2000円をすぐにもらえたんですよ。それに、お店の人は僕が来るとお客さんが喜ぶから「好きなもの何でも食べていいよ」と言ってくれて。「こんな世界があるんだ」って思いましたね。
芸能界を目指して東京に出ようと決めたのは19歳の頃でした。そのとき初めて母とケンカしましたね。
上京後、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)のオーディションを受けました。
事前にスタッフの方に「芸名は?」って聞かれて、「お店ではコロッケって呼ばれています。顔がコロコロ変わるんで……」みたいに答えたんです。「じゃ、それでいいですか?」と言われたので、「は、はい」と。上京の翌年、1980年8月にコロッケとしてテレビに出たので、芸名はもう変えようがなくなりました (笑) 。
『お笑いスタ誕』は大変な人気番組でした。だから、すごい手応えを感じました。山手線に乗ったら、「あっ!」「コロッケ?」という人がいるんです。それまでは誰も僕のことなんて気にしなかったのに。
僕には師匠はいません。当時は、とんねるずや小柳トム(現・ブラザートム)など、師匠を持たない芸人が登場してきた時代だったんです。
新宿にあった「昆」というショーパブが僕ら若手芸人のたまり場で、一番の兄貴分がコンちゃん(現・ブラザー・コーン)で、コント赤信号もいました。いつも大騒ぎで、必ずとんねるずの憲ちゃん(木梨憲武)が「みちのく一人旅」を歌うんですよ。その間に、みんなでどれだけボケられるかを競い合うんです。今、思い出しても、すごい熱気でした。