「諦めた人はこうなるんだ」と感じて号泣

“僕は野球を諦めたからこっち側にいるんだ”、“諦めた人はこうなるんだ”と、その差を思いっきり見せられた瞬間でした。試合は勝っていたし、もちろんそのことはうれしかった けど、 涙が止まらなくて。お芝居で“これくらい泣いてください”と言われたとしても、恐らくできないくらい号泣していましたね。その日のことはこの先も一生忘れないと思います」

――それは諦めてしまった自分に対する悔しさや挫折といった感情からの涙だったのでしょうか。

「そういう感情も全て含めた涙ですね。自分は野球を続けることを諦めて、ユニフォームも着ずにただスタンド席で応援しているという状況に気づいたときに“あぁ、俺は負けたんだ”と思いました」

――その時の後悔や「負けた」と思った経験が、今活かされていると思うことはありますか?

「次に“絶対やる”と決めたことは最後までやり抜こうと誓ったので、だから今この仕事を続けているのだと思います。それに、あの時は“悔しい”という感情だけじゃなかったんですよね。諦めたことを自分でフタをして“なんで自分はこんな選択をしたんだろう”と、そっちの選択をしてしまった自分に対する怒りみたいなものもありました。

 今目の前でユニフォームを着て試合をしている人たちは“人生を諦めなかった人たち”で、制服を着てただ応援している自分は“人生を一生懸命生きなかった人”。その成功例と失敗の明確なものを見てしまった感じでした。

 周りの人たちは“そこまでの失敗じゃないよ”と思うかもしれないけど、僕はその時に“自分は諦めた人だ”ということを痛感させられたので、悔しいというレベルではなく、絶望と言っても過言ではないくらいの感情になりました」

山田裕貴 撮影/冨田望