ハワイから来日して、わずか8場所で十両に昇進。現役時代は、184センチ、275キロの巨体を生かして、大関を39場所を務めた、小錦さん。引退後は、タレントに転身して、テレビ、相撲ショーのプロデュースなど、幅広い活躍を見せている。一昨年12月、還暦を迎えた小錦さんの「THE CHANGE」とはーー。【第4回/全5回】

小錦 撮影/有坂政晴
 
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 「綱取り」がかかった1993年夏場所で、9勝6敗に終わった小錦は、その後9場所大関の座を守った。

 相撲協会の規定で、「大関から関脇に陥落した力士は、関脇で10勝を挙げれば、特例として大関に復帰できる」というものがあるが、関脇に落ちた94年初場所は、2勝13敗と大敗。「引退説」も囁かれたが、小錦はあえて、平幕で相撲を続ける道を選んだ。

「“大関経験者が平幕で取るなんて……。プライドはないのか?”なんて声も聞こえてきたけれど、『プライド』だけでは、メシを食っていけないから、できるところまで相撲を取ろうと決めたんです」

 元大関の霧島(元陸奥親方)の存在も大きかった。彼もまた、元大関のプライドをかなぐり捨てて、現役続行の道を選んでいた。その2人を称して、「おじさんコンビ」。小錦さんは、「ベテランになったからこそ、見えてきたものもあった」と語るように、ファンは2人のベテラン力士の奮闘に賛辞を送った。

 そして、97年秋巡業中、小錦さんを病魔が襲った。

 滞在先のホテルで大量に下血したのだが、救急車は呼ばず、座ったままで朝を迎えた小錦さん。原因はその時点では不明だったが、医師からは「体の70パーセントの血液が流れ出た」と告げられたという。