輸血をしながら通った九州場所
こうして迎えた11月の九州場所は、輸血をしながら、相撲場に通うことになった。
番付は前頭14枚目。負け越せば、十両に落ちる地位である。小錦さんは、その場所限りでの「引退」を決意した。
「フラフラの状態で本場所の土俵で相撲を取っていたんだけど、後半戦になって少し状態が回復してきて、“これなら千秋楽まで相撲を取って、引退できる”と思ったの。それで、千秋楽の相撲をハワイの家族に見てもらおうと思って、日本に招待していたんだけど……」
「小錦、引退」
14日目朝刊の見出しである。
正式発表を前にして、このような記事が出たのは、13日目に8敗目を喫し、負け越した小錦さんの進退をメディアから追及された師匠(高砂親方=元小結・富士錦)が、前夜、「引退の方向」だと、ポロッとこぼしてしまったことが原因だった。
相撲協会執行部は、
「引退が決まっている力士を、土俵に上げるわけにはいかない」
と、激怒。14日目の三杉里戦は不戦敗となり、結果的に13日目の琴の若(現佐渡ヶ嶽親方)戦が、最後の相撲となった。

最後まで、日本の「目に見えない何か」に振り回された小錦さんは、涙を見せずに土俵を去った。
引退後は、佐ノ山親方として高砂部屋で後進の指導にあたっていた小錦さんだったが、その後、タレントに転向。NHK Eテレの子ども向け番組やCM出演など、その活動は多岐に渡った。
(つづく)
小錦八十吉(こにしき・やそきち)
1963年12月31日米国ハワイ州オアフ島生まれの元大相撲力士。外国人力士として初の大関として活躍。1982年:ハワイ大学付属高校卒業後、高見山 (現在の東関親方)にスカウトされ高砂部屋に入門。[大関通算成績]733勝498敗95休 [幕内成績]649勝 (歴代8位) [大関在位]39場所 (歴代4位)[三賞]殊勲賞4回、敢闘賞5回、技能賞1回
引退後は、タレント、アーティスト、イベントプロデューサーとしても活動し、テレビやCMに多数出演。NHK教育番組『にほんごであそぼ』レギュラー出演(2000年〜2023年まで20年間出演)。その他、ハワイアンミュージシャンとしてはアルバムを13枚出している。最近は オリジナルのBBQソースを開発し BBQマスターとしてイベントを開催。相撲普及活動にも力を注いでおり、世界中で相撲イベントを開催中。
<ボランティア活動>
ハワイ幼少期から精力的に行なっており、日本では1998年KONISHIKI基金設立し、毎年ハワイの子供たちを日本に呼び日本文化を体験させる活動を10年間続けた。阪神淡路大震災、中越地震、東北大震災、熊本地震後には友人を募って物資を届けたりちゃんこ鍋や BBQの炊き出しを行なったりした。東北の子供たちにはコニサンタプロジェクトとしてクリスマスプレゼントを3,000個届けた。