周囲を明るくする長嶋茂雄流の行動「その配慮や気配りはハンパじゃなかった」

──素早く切り替えることで、前向きになれるんですね。

「今までいろいろな人を見てきたけど、長嶋さんみたいに行動すれば、周りの人たちも不安にならないんだ。切り替えることで周りを明るくする、その配慮や気配りはハンパじゃなかった。そういうことは、すごく俺の人生の中でプラスになっている」

──「絶好調」というフレーズも、長嶋さんを見て生まれたものなんですか?

「あれは当時、コーチだった土井正三さんから“絶好調って言わなけりゃ絶対に使ってもらえないぞ”って言われて、何も聞かれていなくても“絶好調です!”って言うようにしたんだよ(笑)」

──長嶋さんから学んだ“素早く切り替える”は、ご自身が指導者になったときに実践したんですか?

「ベイスターズの監督のときは、失敗しても表情に出さないようにしたね。選手がミスして、“あいつまたやりやがった”なんて顔に出したら周りも暗くなるし、テンションも下がるしね。自分が選手のときに、それをやられたら嫌だったし、そういう配慮は自然にできるようになっていったよ」

──先ほど振り返っていたように、長嶋さんは選手に“野球の伝道師になりなさい”とよくおっしゃっていたそうですが、中畑さんは自身を伝道師の1人と考えていますか?

「いやいや、そういう気持ちはない。俺は長嶋さんの教え子であり、息子みたいなものだから。もっとこれからの選手で、人間性も兼ね備えた野球の伝道師を作りたいっていうのが長嶋さんの最後の仕事で、俺たちは過ぎた日の選手なんだよ。いま一番の伝道師は大谷だね」

──中畑さんのお部屋には、長嶋さんが亡くなる3か月ほど前に撮られた、長嶋さんと大谷選手の写真が飾られています。

「これだよね。ちょっと大谷にヤキモチ焼いています」

中畑清 撮影/河村正和

 長嶋さんについて、終始、熱のこもった言葉で語ってくれた中畑さん。自身の体のすみずみにまで、長嶋さんという存在がしみわたっているのだろう。中畑さんが言うように、長嶋さんはまだ、亡くなっていないのである。

なかはた・きよし
1954年1月6日、福島県生まれ。駒澤大学を経て、75年に読売ジャイアンツに入団。79年に一軍に定着し、「絶好調男」としてファンから人気を博す。84年のオールスターゲームでは二打席連続のホームランを打ち、一塁手として7年連続のゴールデングラブ賞に輝くなど、中心選手として活躍する。89年に現役を引退。野球解説者として、歯に衣着せぬ語り口で人気となる一方、読売ジャイアンツのコーチ、横浜DeNAベイスターズの初代監督など、指導者としても日本球界に貢献してきた。