高卒で日本気象協会に勤務し、20代で東京転勤、その後ラジオテレビの気象予報を担当した森田正光。40代で独立しウェザーマップ社長となり、今では160人の予報士と契約する彼のTHE CHANGEとはーー。【第1回/全2回】
伊勢湾台風(1959年)が来たのが小学校4年生のときでした。当時の名古屋港の貯木場は満杯だったんですが、それが高潮の影響で、海水と一緒に河川を逆流して来るほどだったんです。木曽川の堤防を越えて住宅地を襲って、150万人が被災して、5000人も亡くなってしまって。
名古屋市内に住んでいた僕自身も電気がない暗い中で生活しなければいけなくなって、自転車で発電した思い出もあります。そもそも、あの頃の自転車は貴重な物だったので家の中で保管していたんですけど、兄が賢くて、その自転車のペダルをこいで発電機からライトを点灯できるようにしたんです。
伊勢湾台風の威力はすごくて、名古屋の繁華街にあった映画館が崩壊してしまいました。そこは石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』 (57年) を上映して大繁盛していたこともあって、大人たちはまことしやかに「裕次郎が嵐(台風)を呼んだんだよ」と話していたんですよね。伊勢湾台風という大きな台風は、他にもいろいろな思い出があるくらい、小さい頃の私にとってはインパクトのあるものでした。
この台風が直接影響して、というわけではないんですが、高校卒業後に名古屋で気象協会に入りました。担任の教師から日本気象協会を勧められたんですよね。科学が好きだからとか、そういった理由でした。他にも同級生が何人か受けることになったんですけど、受かったのは僕だけでしたので、今思えばそこからこの世界に縁があったのかもしれないですね。
気象協会というのは気象庁の外郭団体で、天気予報を解説するんです。そして、テレビ局やラジオ局などに行って、それを伝える役割だった。当時は運輸省の管轄で、今は国土交通省の管轄にあります。
当時の私がいざ気象協会に入ると、とてもいい職場でした。というのも、当時は「日勤」「夜勤」「泊まり夜勤」「明け休み」の4交代制だったのですが、私はそんなに寝なくても大丈夫だったので、夜勤明けなんかは「休日」になる感覚なんです。“何これ、楽じゃん”って思って、趣味の映画鑑賞や読書、ギターなんかにたくさん時間を注いでいましたね。