3回のオリンピックを経験し、2001年の世界陸上ではスプリント種目の世界大会で日本人として初のメダルを獲得した為末大。競技への思考の深さから「走る哲学者」と称され、現役を引退してからはスポーツに関してのさまざまな提言で、たびたび話題になっている。スポーツに向き合ってきたその人生には、どんな「CHANGE」があったのだろうか。
【第2回/全5回】

為末大 撮影/三浦龍司

「ハードル競技は未成熟だった」

 高校時代は短距離走とハードルの2種目に取り組んでいた為末大さん。400メートル走と400メートルハードルで当時の日本高校記録をマークしていたが、大学に進むと、ハードル1本に専念するようになる。なぜ、ハードルを選んだのだろうか?

為末「端的に言うと、世界に行けそうな競技を選んだということですね。100メートルをやっていたんですけど、実際にジュニアで出た世界レベルの大会でジャマイカの選手たちを見て、これはちょっと自分の人生では追いつかないのではと思ったんです。
 それと同時に、400メートルハードルでは、いろいろな選手が四苦八苦していたんです。走りながらハードルに近づきすぎたり転んだり、最後まで優雅に走っている選手が、世界レベルの大会でもいなかった。これはいろいろ自分が工夫を積める余地がありそうだな、と直感的に思って、こっちのほうが勝負しやすいぞと、それで気持ちがハードルに向かっていったんです」

 しかし為末さんが結果を残せたのは、単に余地があったことだけが理由ではない。本人にハードル適性があったのだ。

為末「技術的なことを言うと、歩幅を調整するのがうまかったんです。実はこれ、どれだけ大きな力を出せるかが肝心な100メートル走では、あまり意味がないんですよ。ただ、ハードルでは大事なんですね。それと、自分で追求して分析して行為自体が性に合っていたのも大きいですね。ハードルは、やっていけばいくほど、タイムがあがっていきました」