想像以上にハングリーな世界

 ふだんのレースとはなにからなにまで違うオリンピック。そこで勝つために為末さんが取り組んだのが、海外参戦だった。

為末「オリンピックに出て、決定的に違うと思ったのが、外国人が多く国際的な顔ぶれと規模です。そもそもグラウンドの素材が違うこともあり、まずはこれに慣れなくてはいけない。ただ、オリンピックは毎年、開催されるわけではない。それなら、とシドニーオリンピックの翌年から、レースの比率の8割ほどを海外に変えたんです。それは大きい変化でしたね」

 当時は海外のレースに参戦する日本人選手は、今ほど多くなかった。そんな中での海外参戦はどんなものだったのだろうか。

為末「いつも海外で会う日本人選手というと、室伏広治さんと朝原宣治さん、だいたい日本人はこの3人でしたね。環境も整備されていなくて、ひと言で言うと、旅芸人みたいな感じでしたね。
 お金の話をすると、一番大きい大会で1位になると、賞金が当時で1万ドル。私の順位だと、3位か4位で5、60万円ぐらい。年間でだいたい10試合やるんで、年収にすると5、600万円ぐらいですね。
 そうなると、移動の飛行機はエコノミーにせざるをえない。現地に着いても、移動費を浮かせるために、みんなで乗り合いのバスを使っていました。賞金をすぐに手にしたい選手もいて、レースの後に銀行の人が金庫を持ってきて、そこで並んで順番に現金でもらうこともありました」

 想像以上にハングリーな世界。しかし、そこで得た経験は大きく、01年の正解陸上で、為末さんは銅メダルを獲得する。世界大会のスプリント種目で日本人選手がメダルを獲得するのは、これが初めてだった。

 海外参戦は為末さんだけでなく、日本の陸上に大きな「CHANGE」をもたらしたのだ。

■為末大(ためすえだい)
元陸上選手。1978年広島県生まれ。2001年に開催された世界陸上の400メートルハードルで、スプリント種目としては日本人初のメダルを獲得する。05年の世界陸上でもメダルを獲得。00年のシドニーオリンピック、04年のアテネオリンピック、08年の北京オリンピックに出場。12年に現役を引退し、現在は執筆活動やスポーツに関するさまざまな事業に携わる。近著は『熟達論』(新潮社)