タレント活動を経て、1993年に芸能事務所「タイタン」を設立した太田光代。夫の爆笑問題太田光との出会いから社長としての日々まで、彼女のTHE CHANGEに迫るーー。【第1回/全2回】

太田光代 撮影/柳敏彦

 もともと私は、モデルとして芸能界に入って、ミスコンをとってテレビ番組に呼ばれるようになったんです。私は学生時代から、とにかく変なことがやりたいタイプでした。みんなの前で学校の先生のモノマネなんかをよくやっていましたし、学校内でも「おかしなことをする人」ってことで、知られていたと思います。あと、“長”のつく仕事をすることがよくありました。面倒なことはみんなやりたくないんです。だから、頼まれるとつい引き受けていました。

 デビューした頃のテレビでは、特技を求められることが多かったですね。変なことをやりたくて、ガイコツとか、忍者ハットリくんとか、ラーメン大好き小池さんなどを表現していたら、モノマネをやれる人だと思われました。

 水着でそんなことをやっていたら、芸能事務所の太田プロダクションさんから声を掛けていただくことになったんです。そこで同期になったのが、『爆笑問題』でした。

 夫(爆笑問題の太田光)の第一印象ですか? 爆笑問題も当時、私と同期の新人ですから、まだ世に出てなかったので、特別な印象は持っていなかったです。社会問題をテーマにしたコントをやっていて、私が好きなネタではあったのですが、当時でも「テレビではできないんだろうな」って思っていました。

 芸能界に入る前は、高校生で立川談志さんが好きになり、高座に通ってました。

 役者さんだと加藤剛さん、大川橋蔵さん。市川雷蔵さん、年上の方が好きでした。そして、なんといっても私のアイドルは、明石家さんまさん。「たのきん」世代なので、友達はみんなトシちゃんやマッチ、よっちゃんが好きな人が多かったんですが、私はさんまさんに夢中でした。私、けっこう、イケメン好きなんです。だから太田のことは全然好みじゃないんです (笑) 。