お笑い芸人であり、大喜利作家として注目されている赤嶺総理。彼女が大喜利に出会ったきっかけであるTHE CHANGEに迫るーー。【第2回/全2回】
いつの間にか大喜利が生活に欠かせないものになっていて、次第に「ラジオやお笑い番組の構成作家になりたい。芸人にもなりたい」と思い始め、調べるとお笑い芸人から放送作家になった人が何人かいる。「じゃあ、まずはお笑い芸人をやってみよう!」と心に決めたのが、地元・沖縄の大学に通っていたときでした。3年で中退し、1年間バイトをしてお金を貯めて、吉本のNSCを目指す、という計画です。
そんな私に親は「あんたが決めたことだから」と背中を押してくれたけど、ばあちゃんはめちゃくちゃ泣いてしまって。でも、あとあと私がEテレの俳句番組『俳句さく咲く!』(NHK)にレギュラーで出させてもらったのを見て、「あんなに泣いたのが馬鹿みたいさ!」と笑ってくれたのでよかったんですけど。当時は心苦しさもありつつ、それでも絶対に芸人になりたかった。当時、時給670円の沖縄で1年かけてなんとか200万円貯め、上京してNSC東京校に入ることができました。
しばらくすると「こいつは大喜利ができる」と認知してもらえて、予選を勝ち抜いて1年目で『フットンダ』(日本テレビ系)に出たんですが、テレビの大喜利は今までのものと全然違って。当人のキャラクターも重要で、「大喜利の答えが強いだけではダメなんだ」と思い知ったし、緊張もありました。お題の深くまで潜れなくて、息が続かず浅瀬で考えて答えを出してしまったんです。
今でも「いい答えが出せなかったな」ということはありますが、いい答えが出るまで帰りの電車の中で考え続けたり、家で『千原ジュニアの座王』(フジテレビ系)を一時停止して自分で答えを出してみたりしています。だって、せっかく「お題」というごちそうが目の前に出されているんだから、食べないのはもったいないじゃないですか!