わずか8歳で囲碁と出会い、連戦連勝。13歳という異例の若さでプロ棋士となり、20歳で初タイトルを獲得。その後も本因坊、名人、そして初代・世界チャンプへと上り詰め、実に24期ものタイトルを獲得した“不世出の天才棋士”、武宮正樹。 
 盤上を広大な宇宙に見立てるその自由奔放で圧倒的なスケールの碁は、いつしか「宇宙流」と呼ばれ、世界中のファンを魅了した。伝説の「木谷道場」での内弟子時代から、初代世界王者となった絶頂期、そしてアルゼンチン・タンゴに熱中する現在まで。規格外の天才・武宮正樹のTHE CHANGEに迫るーー。【第2回/全2回】

武宮正樹 撮影/イシワタフミアキ

  内弟子生活は楽しかったですよ。同年代の仲間と囲碁を思いっきりする時間があったし、遊び仲間でもありました。

 私が入門したとき、木谷先生は病床についておられて、60代で亡くなりました。でも、このように日本中から子どもたちを集めて、囲碁の普及に貢献した方でした。無償でなさっていたので、弟子の食費だけでも相当なものだったことでしょう。

 趙治勲さんは私の兄弟子でしたが、5歳下で、まだ小さい子どもでした。しかし、そんな彼は結局、生涯成績では私の記録のはるか上を行く、歴代2位ほどの人物になりましたね。本当に強くて、いいライバルでした。

 5年ほどで内弟子生活を卒業し、20歳で最初のタイトル『首相杯』というのを奪取しました。その頃でしたか、朝日新聞の記者が、私の囲碁を「宇宙流」という見出しで報じるようになったのは。

 囲碁とは、盤の上で陣地取りを争う競技です。そこで実直に、領土拡大をするのが基本戦略なのです。しかし私の場合は、もっと楽しい、夢がある囲碁ができないかと思ったわけです。碁盤という空間の広がりを宇宙に見立てて、そのまま自陣にしたいと。

 そういう風変わりな棋風を、第三者が「宇宙流」と称えてくれたわけですから、あれは嬉しかったですね。

 25歳のときに、願っていた「本因坊」のタイトルを獲得できました。あの年は年初に結婚して、間もなく挑戦者になって、4月以降の7番勝負で同門の石田芳夫さんからタイトルを奪取したわけです。その翌年に生まれた長男の陽光は、囲碁棋士になって、今は棋院の理事長です。

『世界囲碁選手権富士通杯』第1回大会が開催されたのが88年でした。そのとき私は37歳。ちょうど脂が乗りきっていた頃でしたね。「これは、私のための世界大会じゃないか」と、開会式だというのにすでにガッツポーズして「皆さん、楽しんでくださいよ」と、ウキウキ気分だったのです。