1993年、『ソナチネ』(北野武監督)で鮮烈な映画デビューを果たし、以降『模倣犯』でのブルーリボン賞助演男優賞をはじめ、数々の映画賞を受賞してきた津田寛治(60)。日本映画界に欠かせない名バイプレーヤーとして走り続ける彼が、3月28日公開の最新主演作『津田寛治に撮休はない』では本人役で、現実と虚構が入り交じる不思議な世界に挑む。18歳での決死の上京から、北野武監督への直談判、そして恩人・大杉漣さんとの知られざる絆まで。常に第一線を走り続ける津田寛治の、熱き“THE CHANGE”に迫るーー。【第1回/全2回】
俳優を目指して福井から上京を決意したのは18のときでした。親からも友達からも反対されましたが、僕の中では「このままでも生きていけるけど、やっぱり変えなきゃいけない」という気持ちがありました。変えることによって、どん底に落ちるかもしれないし、もしかしたら一生立ち直れないくらいの痛手を受けるかもしれないけど、“今やらなきゃ”という思いに駆られたんです。
そんなときに観た映画が『すかんぴんウォーク』(1984年)。吉川晃司さん演じる主人公が電車じゃなくて海を泳いで上京する(笑)というオープニングに完全にやられました。「俺も頑張れば何とかなるかもしれない」って思わせてくれたんです。主人公を真似してバイトの先輩に生意気な口をきいてみたりもしましたけど、吉川さんのようにカッコよくはできなかったですね(笑)。
上京したての1か月は、僕としては一年ぐらいの感覚でした。一日一日がすごく濃くて……。水道水がまずくて飲めなかったから、もう生きるか死ぬかってぐらい。最初に入った事務所は、2か月くらいで辞めてしまって(笑)。その後、いくつかの事務所を転々としていました。
そんなとき、早稲田の小劇場でナンバー2だった方が独立して劇団を立ち上げるというので、そこを手伝うことになったんです。寺山修司さんや唐十郎さんといったアングラ系の舞台を観るようになり、僕が小劇場に染まっていったのはそれがきっかけでしたね。
演劇集団「円」に研究生として入団したのはそこを辞めた後のことです。「このままここにいたら、表現者の“部品”にしかならないのでは」と思うようになり、俳優としてのスキルを一から学びたいと考えたからです。