四畳半・風呂なしアパート。反対する親を振り切って始まった役者人生

  初舞台は2002年上演の「ラフカット2002『13000/2』」。当時の写真を見せてくれながら「自分で作った衣装をなぜか着ているんですよ」と笑う。
 
「1本決まったからといってどうってこともないんですけどね。この時点で職業にしようとまでは思っていなかったかもしれませんが、たぶん"私はこの道を進む”という気持ちが定まった瞬間でした。同時に、父に反対されて家を飛び出したんです」
 
――家出されたんですね。なにか書き置きを残して?
「なんか残したかな……? 何も残してないかも(笑)。心配はしたと思います。でも、ある程度必要な荷物は持っていって、親としては"いつかそのうち帰ってくるだろう”と思っていたと思いますが、いつまでも帰ってこないから"どうなってる?”という連絡がきて。"いや、もう自分でやっていくわ”と言った気がします」
 
 東京・阿佐ヶ谷に構えた居は共益費2千円+家賃2万5000円の、四畳半。半畳もない玄関の脇に小さな水場があり、知人から譲り受けたテレビデオを畳に置いた。
 
「古い家だから網戸がなくて、夏は開けると虫が入ってくるけど閉めたら暑いっていうせめぎ合いが大変でした。結局開けちゃって虫が入ってくるんですけど。女性限定なので安心感はありましたが、洗濯機を共同スペースに置けなくて、トイレは共同で風呂なし、徒歩5分のコインランドリーに行くのが面倒くさくて、汗をかいて洗濯物を増やさないように、扇風機を窓に向けてかけて、風圧で虫が入らないようにがんばっていました」
 
――効果はありましたか?
「わかりません(笑)。お風呂もお湯が出ないから、水道に頭を突っ込んで洗うこともありました。蛇口が固定されているので、蛇口の下に頭を入れてグリグリと水で洗うんです」
 
 思わず筆者が「オードリーの春日俊彰さんが住んでいた、阿佐ヶ谷の『むつみ荘』を思い浮かべました」と話すと、「そう! 暑いし寒いしで、家よりもファミレスに行っちゃったほうがいいやと思って行った阿佐ヶ谷のファミレスで、春日さんを見かけたことがあります」と教えてくれる。
 
――お金はないけれども夢に向かっていた当時の自分を振り返ると、今とどうつながっていますか?
「スタートから"これを仕事にしていこう”と思っていたわけではなくて、”やりたいからやっている”の連続という感じでした。あの劇団に出たい、あの作家の世界を浴びてみたい――それが常に原動力になっていて、食べるものがなくても下積みというつもりもなく、楽しいからやっていたんです。
 
 それに、親が厳しかったので、自分で自分を押さえつけていたようなところがあったので、小劇場で結構過激な表現の舞台にも好んで出ていたので、そこで知らない自分に出会うことも自己解放になっていました。ある意味“リハビリ”だったのかもしれませんね」
 
 内田さんの人生の中で、この時期が「ここから自分の意思でちゃんと始まった感じ」だったと話す。一方で、反対していた親はというと――。
 
「演劇の台本ってそんなにちゃんと綴じられていないというか、特に小劇場の台本は製本されて最初のページに名前が載っていて……ということは少ないんですけど、初めて映画に出たとき、製本された台本の配役表のページに“内田慈”という名前が載っているのを親がみたときに、"なんかよかったね”と言われまして。その辺から"もう好きにやりな”という感じになりました。20代半ばでしたね」
 
 演劇、映画、ドラマとその舞台を移してもそれぞれで活躍し続ける内田さん強さの根源が、垣間見えたのだった。

うちだ・ちか
1983年3月12日、神奈川県出身。日本大学芸術学部文芸学科中退後、演劇活動を開始。さまざまな演出家のもとキャリアを積み、2008年に橋口亮輔監督「ぐるりのこと。」で映画デビュー。近年は毎クール連続ドラマに出演中。近年の主な出演作に舞台『ふくすけ2024ー歌舞伎町目次録ー』(2024年)、『おどる夫婦』(2025年)、映画『ナイトフラワー』(2025年)、『災 劇場版』(2026年)、ドラマ『君が死刑になる前に』(2026年、日本テレビ系)、『田鎖ブラザーズ』(同、TBS系)、『お別れホスピタル2』(同、NHK)、『風、薫る』(同)がある。