「関根は40歳から」という欽ちゃんの言葉通りに!

――クロ子とグレ子(小堺一樹さん)の誕生ですね。

「僕より10カ月前に小堺君がグレ子をやっていて、すでに観覧客から人気があったんです。だけど僕は全然人気が出ない。その頃、僕と小堺君が下北沢のライブハウスでコントをやっていて、ボケる僕のほうに笑いが起きていたんです。だから、『欽どこ』でウケないことに焦って、僕はどんどんオーバーアクトになって。

 そうなると、もっとシラけてしまう。萩本さんに呼び出されて、“お前の芸は100万円を持っていたら、その札束を見せびらかしているようなものだ。5万円だけをさりげなく見せて、95万円は内ポケットに入れておけ”と言われたんです。

 それで僕は動きを抑えて、週を追うごとに手首、肘、肩と少しずつ動かして、2カ月後に最初の動きに戻したらウケるようになりました。『欽どこ』のお客さんが“カマキリ男は演じているだけで、関根勤はこういう人間なんだ”と知るまで、そのくらいの時間がかかるということで、中華料理でいう“油通し”が必要だったんです。ここが僕の転機になりましたね」

――萩本さんは正しいことを言っていたんですね。

「欽ちゃんは正しいことしか言わないですから」

――萩本さんが「関根は40歳から」と言ったこともあるとか。

「30歳を過ぎた頃、萩本さんが“小堺は一人で司会をやるかな”と言って、その少し後に『いただきます』(フジテレビ系)が始まるんですけど、僕には“関根は40歳からだな”って。一瞬凍りついたものの、“あと9年は芸能界にいられるんだ”と気持ちを切り替えて頑張っていたら、40歳のときに初めて番組の立ち上げから呼ばれるようになったんです。それが『王様のブランチ』(TBS系)でした。

 萩本さんのところに行って、“大将のおっしゃる通りでした”とお礼を言ったら、“関根は50歳から”と言われて(笑)。50歳になったときも仕事に恵まれたんですけど、さすがに萩本さんのところには行きませんでした。“60歳から”と言われたら耐えられないから(笑)」

 芸人としてのチェンジの瞬間にはいつも師匠、萩本欽一からの言葉があった。70歳となって、また「80歳から」とは言われれば、新しい関根勤が誕生するのかもしれない。

関根勤(せきね・つとむ)
1953年8月21日生まれ、東京都出身。『ぎんざNOW』の「素人コメディアン道場」で初代チャンピオンとなり、芸能界入り。1989年からカンコンキンシアターの座長を務める。2022年5月、YouTube公式チャンネル「関根勤チャンネル」を開設。関根勤チャンネル トークライブ2023「ある意味怖い 絶対配信できないここだけの話」が10月7日、8日に銀座・博品館劇場で開催される。