「夢グループ」の通販CMで「安くして~ぇ♡」と社長におねだりする謎の美女。その女性こそが今回登場する保科有里さんだ。地元金沢でのOL生活を経て、27歳で上京。1993年に『神無月に抱かれて』で歌手デビューし、現在は「夢グループ」に所属する。社長の石田重廣と通販CMで共演し大ブレイク、今年の8月には自伝も上梓した。
 保科有里の「THE CHANGE」とは? インタビューには石田社長も特別参加! その素顔に迫った。(第2回/全2回)

保科有里と石田重廣社長

 

──自伝によると、石田社長との出会いはラウンジだったそうですね。保科さんが各テーブルを回り、社長のところにも来て「よろしくお願いします」と握手を求め、「はい」と答えてしまったからとか。

石田 「つい握手してしまって。こうなったら責任を取らなきゃと思って会社に入れてしまった」

保科 「私は、前のプロダクションを辞めて1年間フリーでやっていた時期だったんです。仕事もなかなかなかったので、「ここで次の展開が決まらなかったら、田舎に帰るしかない」という心境でした」

「あ! 社長だ! 愛人だ!」

石田 「ならば、僕のところで心機一転、オリジナル曲を歌って頑張っていこうじゃないかと。それでどうやって仕事を作ろうかと思ったんだけど、当時、うちは『夢コンサート』を開催していた。メンバーは小林旭さん、松方弘樹さん、千昌夫さん、黒沢年雄さん、チェリッシュなど、全員が4番バッターだったわけ。

 その中に保科さんを入れることにしたの。そしたら、“ヒット曲のない歌手に歌わせたらコンサートの格が下がる”って言い出す人が出てきて。僕は“うちの会社の社員なんだから、みんなで応援してあげましょう”と言ったけど“ダメだダメだ”の一点張り。一筋縄では、いかなかった」

──昔は、そんないじわるな人がいたんですね。

石田 「その後、今も続くコンサート『夢スター春・秋』に参加してもらって。今度は保科さんに司会も担当してもらった」

保科 「みんないい人ばかりで、本当にありがたいです」

石田 「それで次に保科さんをどうしようかと思ったときに、CMに出てもらったわけです。今度は〝愛人〟って言われるようになっちゃったけどね」

──周りの人が見て「えこひいき」と思うような雰囲気だったのでしょうか?

石田 「そう思われると僕は燃えるタイプなんですよ。腹が立つから、なんとしても保科さんを有名にしてやろうと思って」

──そんな社長を、保科さんはどう思いますか?

保科 「申し訳なさとありがたさと……でも、社長がこういう性格の人でよかったです。だって、40歳をすぎた歌手を普通は雇いませんよ? だからこそ社長から「“一緒にCMをやろう”と言われたときは“私、出ていいんですか?”と、少しでもお役に立つのならと思い快諾しましたが、まさかこんなふうになるとは全然思いませんでした」