バブル崩壊まっただなかの1993年。けれどもバブルの余韻だけはまだ空気に残り、トレンディドラマに夢中になれた。そんな時代が、ブラウン管の中でセピア色で再現されるとき、無意識にBGMにしてしまう曲がある。あのころの日本にあまねく知れ渡ったラヴソング『Get Along Together』。この曲の生みの親であり、2023年に30周年を迎えたシンガーソングライター山根康広のTHE CHANGEとは。【第3回/全3回】

山根康広 写真/本人提供

 

 1993年、『Get Along Together』が180万枚の大ヒットを記録し、90年代ミリオンセラードリームの渦中にいた山根康広さん。現在まで常に音楽とともに歩んできたが、「やっぱり、コロナ禍は大変でした」と率直に話す。

「あのときはいちばん大変でした。昔はCDが売れる時代だから収入もあるんですが、今は全然売れないじゃないですか。だからライブが主軸になるんですが、それができなかったというのが、いちばん辛い。ちょっと大変でした。“もうダメかな”というのはね、なんかね、ありましたけどね。でも、できるところまでやろう、と。結局それしかないんですよ。ほかの仕事もなかなか雇ってもらえないだろうし、音楽しかないんです」

 音楽しかないーーと覚悟を決めたような口調で話す山根さんのTHE CHANGEは、中学生まで遡る。

「中学のときの文化祭でバンドを組んで、俺、ピアノしてたんですよ。ちがうクラスの遠藤くんという子に誘われて。彼のお兄さんがバンドをやっていたんです。それで彼がギターで、俺は"ディープ・パープルをやるから、キーボードのジョン・ロードをやれ”と言われて。そのときに初めて聴いたディープパープルが……"うわー! なにこれ!?”と思って。初めてのハードロックでした」

 遠藤くんの実家には教会があり、バンド練習ができるスペースがあった。メンバーと初めて音を合わせた瞬間の衝撃が、山根さんのTHE CHANGEーーいまも鮮明に覚えているという。

「それまではひとりでギターとかピアノをやっていたので、自分たちで演奏したときの衝撃は……“バンド、すごい! これやな!”と思いました。自分たちも、レコードと同じことができるんだな、という感覚です。ここで音が生まれて、同じ音になるなんて、と」

ーー文化祭のステージはいかがでしたか?

「全然ウケなかったです。やかましそうな顔をしていましたね。当時は松山千春やアリスが流行っていたので、アコギで邦楽をやるほうがウケたんでしょう。でも、そういうのはどうでもよかった、楽しかったので」