試合に至るプロセスも魅力的
「勝負に挑む姿勢が違いましたね。今まではアメリカに勝つには、スモールベースボールで細かい野球が必要とされてきたけれど、大谷選手が入ったり、ダルビッシュ投手が違う空気を作ることで、今までとは色の違うチームができたんだと思います」
確かにWBCでの侍ジャパンは、どんな相手でも真っ向勝負を挑んでいたイメージがある。
「観ているほうも、“こんなことが起きるの?”ってプレーが多かったですよね。村上選手が4番で最初は苦しんでいたんだけど、アメリカとの決勝で特大のホームランを打つとか。でも、それは偶然じゃないんですよ。栗山監督をはじめとする首脳陣、ダルビッシュ投手や大谷選手をはじめとする選手たち、彼らが小さいことを積み上げてチームを作ってきたから、起きたことなんだと思います。
野球って、もちろん結果が大事なんですけど、試合に至るプロセスやチーム作り、そのへんのところも、すごく魅力的なチームに仕上がっていたんだなと思いましたね」
試合に至るプロセスが魅力的だから、プレーのひとつひとつがより輝いて見える。そのうえで見事な結果も残している。WBCでの侍ジャパンに、日本中が熱狂した理由は、そこにありそうだ。
野球を楽しむということ
「やっぱり若い選手が、ふだん試合をしている選手と一緒にプレーするのって、固くなっちゃうところがあると思うんですよ。そのへんを、ダルビッシュ投手や大谷選手がいい雰囲気を作ってくれた。外から見ていても、みんな表情が明るかったりとか、今までとは違う雰囲気でしたよね。もちろん、日の丸を背負ってはいるんだけど、その背負い方が違っていた。ファンの方たちは、そういったところに魅了されたんじゃないでしょうか」
五十嵐さんは、そんな侍ジャパンメンバーである、読売ジャイアンツの岡本和真選手(27)の言葉が興味深かったという。
「優勝後の会見で、岡本選手が“野球って、こんなに楽しかったんだなと思いました”と話していたのが、すごく印象的だったんです。もちろん、優勝したからいえることだとは思うんですけど、これってすごく大事なことなんですよね。
たとえ勝ったとしても、そう感じられないこともあるとは思います。でも岡本選手が楽しいと思えたことって、本当にいい経験だったと思いますし、こういうチームが強いチームなんだ、だから勝てるんだって、岡本選手の中で明確になったはずです。そういったものを後輩とか、いろいろな人に伝えてもらえたらいいなと思いますね」
今までとは違うチームだった侍ジャパン。ここから日本の野球は、大きく変わっていくかもしれない。
■五十嵐亮太(いがらし りょうた)
1979年北海道生まれ。97年に敬愛学園高校からドラフト2位で東京ヤクルトスワローズに入団。2年目から一軍に定着し、リリーフ投手として活躍。04年には当時の日本人最速タイ記録となる、球速158キロを記録。最優秀救援投手に選ばれる。09年に海外FA権を行使し、MLBニューヨーク・メッツに入団。12年シーズンまでMLBでプレーし、13年に福岡ソフトバンクホークスに移籍。19年に古巣のヤクルトに戻り、20年に引退。現在は野球解説者として活躍している。