「何十年ダメだったのに、腰振って奇声あげて世に出るって、なんか最高だなって思ったんですよ」
「僕的には面白かったんですよ。何十年ダメだったのに、腰振って奇声あげて世に出るって、なんか最高だなって思ったんですよ。
頑張って、とか、みんないま共感の中にいるじゃないですか。夢は叶う、みたいな。そこじゃない売れ方したことになんか面白さも感じてて、これは完全にふざけてるなと思ったけど、そこに共感します、とか言われて、すげえイヤだったんですよ。
一発屋とか言われて、面白かったんですよ。そっちのほうが。
お前もうダメだよ、とか言われて。パッて回り見たら、一緒に出た人は、今日からもう芸能人、みたいなのあるじゃないですか。コーヒー飲んで、夜はクイズ番組出て、その次はコントもあって。で、なんか俺、これはちょっと変態かもしれないけど、おもしろいな、って思ったんですよ、そうやってノレなかった自分が」
ーーおもしろいなって思えるところが、やっぱりすごいですね。
「外れた俺がリアルだった。俺やっぱ、ちゃんとしてないからちゃんとダメだったんだろうって。実際、死のうとかはなかったですけど、希望を持って、みたいなノリもないんで。なんか業界のこととか興味もないし。さっきからお前、ようこそって顔するけど、俺興味ないからみたいな、お前たちの世界って。
「分かるやつに分かればいい」とか、けっこう言い訳に聞こえるじゃないですか。きっと、そう思ってた自分がいたんでしょうね。もういいや、分かるやつで。で、そこで一発当てた。よかったんですよ。そうじゃないと、やばいじゃないですか。
でも、そうやって売れてるっていうのは、グニャグニャするロープの上で綱渡りしてるようなもので、うわーってストレスあったんですよ。落ちちゃう。落ちちゃうって。
でも、覚悟して、わーって(笑いながら両手を上げる)ってやって、落ちた感じの気持ちよさがあって。別にいいやって思って。
別にいいやってやってから、なんか楽しいですね。好きにやってやるぞ、みたいな。ていうか、本来そうだろ、という気持ちです」
ロープの上での綱渡りから覚悟して落ちること。それが永野さんのTHECHANGEだったという。「好きにやってやるぞ、本来そうだろ」という言葉に込められた思いは強い。
■プロフィール
永野 ながの
1974年9月2日生まれ。宮崎県出身。AB型。1995年にピン芸人としてデビュー。「ゴッホとピカソに捧げる歌」などのシュールなネタで注目を集める。ロックフリークとしても知られ、愛情と知識で語られる音楽トークは人気に。GLAYのライブにゲスト出演し、俳優・斎藤工とは映画をともに製作するなど華麗な交流がある。2021年に『僕はロックなんか聴いてきた 〜ゴッホより普通にニルヴァーナが好き! 〜』、2023年に『オルタナティブ』(ともにリットーミュージック)を出版