1995年、東京NSCの1期生で同期の庄司智春とともにお笑いコンビ「品川庄司」を結成。お笑い芸人、タレントとして「品川祐」名義で活動する一方で、作家・映画監督のときは「品川ヒロシ」として活動する。そんな品川の「CHANGE」に迫る【第1回/全2回】

品川ヒロシ

 僕、デビュー当初は「嫌われ芸人」として周囲から見られていたんです。たとえば現場に入ったときに「おはようございます」って挨拶されても、なんだか笑顔で返すのも気持ち悪いなって思っちゃう時期があって。別に不機嫌でもないし、威嚇するつもりもなかったんですけどね。地元での仲間同士での挨拶とか会話が、そんな感じだったんです。

 取材だったら「おいくつですか」って聞かれたら「そんなの事前に調べてこいよ」っていうのが、口には出さなくても顔に出ちゃうことがあって。でも、年を重ねてきたら、「調べてないんすか」って笑顔でツッコめるようになってきたんです。

 それは、映画監督という仕事をさせてもらったことで人としての器が大きくなった部分もあるんじゃないかとも思うんです。以前の僕は芸人として“表側の立場”しか知らないから、「俺が笑いをとるんだから」とか「なんだこの企画、つまんねぇな」って、スタッフに言ってたこともあったんです。でも、監督という裏方になったことで、昔は見えてなかった部分も見えてきたというか。

 たとえば、「入りの時間が早いな」って俳優に言われても、監督の立場からするとメイクやらリハやらやんなきゃいけないことがいっぱいあるから、そうなってしまうことを分かっている。裏方の事情を知らないのは、監督をやるまでの僕もそうでした。