1995年、東京NSCの1期生で同期の庄司智春とともにお笑いコンビ「品川庄司」を結成。お笑い芸人、タレントとして「品川祐」名義で活動する一方で、作家・映画監督のときは「品川ヒロシ」として活動する。そんな品川の「CHANGE」に迫る。【第2回/全2回】

品川ヒロシ

 次の僕の目標はアメリカで映画を撮ること。もともと、映画が好きで、ジャッキー・チェンの映画のアクション・シーンだけをつないで、自分だけのVHSを作ったりしていたんです。そんなことをやっていた10代の頃に、北野武さんが映画監督をされたのを見て、「え、芸人で成功したら、映画を撮れる未来があるんだ。じゃあ、芸人になろう」と(笑)。子どもが野球選手になりたいって無邪気に思うのと一緒ですね。だからNSC(吉本総合芸能学院)の東京校が開校するって聞いたときは運命だと思いました。すぐオーディションを受けましたから。

 43歳のときに、とりあえず10年後にアメリカでインディーズのホラー映画を撮ろうって決めたんです。内容は『13日の金曜日』みたいなスプラッター・ホラー。いきなり、僕がハリウッドで映画を撮りたいって言っても、誰も撮らせてくれないじゃないですか。「いつかレッドカーペットを歩きたい」なんて言っても、漠然としすぎていて、誰も協力しづらいと思います。でも、インディーズのホラー映画なら可能性があるんじゃないかと。

 そう心に決めてから、特殊メイク・アーティストや国内の世界的に有名なホラー映画監督たちとの関係を、この10年で作ってきたんです。そうやって、具体的な道筋をひとつひとつ明確にしていけば、かなうんじゃないかと思っています。