漫画家、画家、ラーメン店経営など多才な落語家・林家木久扇。1969年から半世紀以上レギュラーを務めた『笑点』(日本テレビ系)を2024年3月に卒業すると発表した。番組の秘話や、生涯現役の秘訣を語った(文中敬称略)。木久扇師匠の「THE CHANGE」とは。【第1回/全2回】

林家木久扇


 木久扇は1937年(昭和12年)10月19日、東京・日本橋で生まれた。

「もう、師匠の(林家)彦六が亡くなったのと同じ年です。落語協会でも最高齢になっちゃいました。

 先日、ある落語会に呼ばれて、主催者に〝お客さんは、お年寄りばかり〟と言われたんですよ。でもね、高座に上がってみたら、演者の僕のほうが年上でした(笑)」

ーー「自分より長くテレビに出続けているのは、黒柳徹子さんだけ」と語る木久扇が、番組の卒業を決断したのは、なぜか?

「『笑点』に出て54年目ですが、これだけ長く続けていると、司会者がみんな亡くなるんです。僕を番組に推薦してくれた(立川)談志さんをはじめ、前田武彦さん、三波伸介さん、(三遊亭)円楽さん、(桂)歌丸さん……。

 どの方との別れもつらかったです。受け入れるのは容易じゃなかった。メンバーだった六代目の円楽さんも亡くなりましたし、仲間が減っていく経験をして、〝元気な姿のままで卒業したい〟と思いました。

ーーだが、理由は、それだけではなかった。

「ずっとボケをやってきて、いつ、どこに行っても面白い人だと思われるので、ちゃんと、それに応えて演じてきた。ただ、それだけが僕ではありません。だから、ちょっと休ませてもらいたい気持ちもあったんです」

ーーすでに、お気づきかもしれない。素顔の木久扇は、テレビでの〝おバカキャラ〟とは違い、意外なほど落ち着いた人物だ。ちなみに、気になる後任人事については、ノータッチだとか。 

「それはテレビ局が決めることです。僕が具体的な名前を挙げると、それで確定みたいに伝えられますし、まして(息子である)木久蔵の名前なんて出したら、政治力を働かせたみたいに思われてしまう。それが嫌なので、何も言わないと決めています」

ーー近年、新メンバーの加入が相次いだが、特にスタッフから相談はなかったという。

「でも、いい人選だったと思いますよ。(桂)宮治さんは明るくて、ふてぶてしくて、ずっと前からいたような顔をしている。それに対して(春風亭)一之輔さんは、冷たい理性のようなものがあって、番組の空気を変えましたね」