司会者に任された場を温める役割
ーー改めて、この54年間を振り返ると、長く出演し続けてきたからこその苦労もあったようだ。
「司会者が替わると、大喜利のリズムも変わるんです。たとえば、円楽さんは何か答えても、あまり感想を言わなかった。だから、限られた放送時間で、僕らは何度も答えられたんですよ。
反対に、(春風亭)昇太さんが何か言うと、(林家)たい平さんに突っ込まれるでしょ。すると、また、言い返す。放送ではカットしていますけど、収録では、もっと長いやりとりがあるんです」
ーーつまり、司会者が替わるたびに、そのスタイルに合わせていったという。円楽の後任だった歌丸も、また、違うタイプだった。
「神経質というか、繊細な方でしたね。誰に、何回指すかを、全部計算していたんですから。それから、場内がシーンとなると、必ず僕を指すんですよ(笑)」
ーー場を温める役割を、木久扇に任せていたのだ。
「そんなタイミングで打席に立ち、毎回ヒットを打つのは大変でした。だから、ときには〝いやん、ばか~ん〟のようなギャグや、モノマネで笑いを取っていたんです。大喜利でモノマネをやったのは、実は僕が最初なんですよ」
ーー状況を大局的に見て語る木久扇は、長い間、出演を続けられた理由を、こう捉えている。
「スタッフと、うまくやってきたことが大きいと思います。ふだんの僕は冷静ですから、扱いやすかったんじゃないですかね。出演者とスタッフの橋渡し役が求められていたんでしょう」
ーーむろん、それだけではなく、おなじみのおバカキャラが重宝されたことも、間違いないだろう。
「レギュラー入りするとき、談志さんから〝おまえは与太郎をやれ〟と役割を指示されたんです。僕はシメシメと思いました。だって、与太郎なら答えを間違えても許されるでしょ(笑)。僕の失敗は、笑いが取れる。
それに、分かりやすく言うと、このキャラクターが一番、儲かるんです。舞台に登場しただけで笑いが起きますから、いろいろな仕事に呼ばれやすいんです」
ーー与太郎を演じながら、大喜利メンバーとして、常に大切にしてきたことがある。
「もともと漫画家を目指して、清水崑さんに弟子入りしていましたから。一コマ漫画のふきだしをイメージして、短くて、分かりやすくて、面白いセリフを口にしました。
小噺にしても〝犬がひなたぼっこしてるよ〟〝ホットドッグだね〟とか、〝雨が漏りますね〟〝や~ね~〟とかね(笑)」
漫画家や画家としても活躍し、多彩な才能を併せ持つ木久扇師匠。テレビの印象とは違い穏やかに語るその姿からは『笑点』を卒業後も幅広い分野での活躍が期待できそうだ。
林家 木久扇(はやしや・きくおう)
1937年10月19日 生まれ。東京都出身。落語家、漫画家、画家。高校卒業後、社会人を経て漫画家を目指し、58年にはプロデビュー。その後、落語家へ転身。林家木久蔵(前名)として二ツ目、真打ち昇進を果たす。69年から『笑点』(日本テレビ系)のレギュラーメンバーとして活躍し、人気落語家となる。2007年に林家木久扇襲名。出囃子は「宮さん宮さん」、定紋は林家彦六一門の定紋である「中陰光琳蔦」。落語で間の抜けたキャラクターを指す「与太郎」の役割で、老若男女を笑わせ続けてきたが、2023年の『24時間テレビ』内の「笑点チャリティー大喜利」において、2024年3月をもって『笑点』を卒業(勇退)することを発表。