漫画家、画家、ラーメン店経営など多才な落語家・林家木久扇。1969年から半世紀以上レギュラーを務めた『笑点』(日本テレビ系)を2024年3月に卒業すると発表した。番組の秘話や、生涯現役の秘訣を語った(文中敬称略)。木久扇師匠の「THE CHANGE」とは。【第2回/全2回】

林家木久扇

談志がマイク一本で謎かけ!

「僕は古典落語をじっくり語るタイプではなく、師匠の(林家)彦六を語った『彦六伝』や『昭和芸能史』といった新作をやってきました。それは、落語会の呼び込み役を意識してのことです。パチンコ店がオープンするときに、前に立って叫んでいるサンドウィッチマンみたいなものですよ」

ーー師匠である彦六はもちろん、与太郎役を指名した談志も大恩人だ。

「番組に出る前、まだ談志さんにお弟子さんがいなかった頃、カバン持ちをやっていたんです。随分、影響を受けましたよ。

 落語家がキャバレーを回るようになったのは、談志さんからです。マイク一本で謎かけをバンバンやるスタイルを確立しました。談志さんがすごかったのは、店の常連客の名前を事前に調べて、謎かけのお題をもらうときに、“○○さん、お題をください”って誘うんですよ。呼ばれた相手は気分がいいですよね」

ーー談志が1971年に参院選に出馬したときも、選挙を手伝った。

「街頭でマイクを持つと、近くにある店の看板を見て“○○商店の皆さん、お元気ですか?”と声をかけるんです。すると、店の人は必ず顔を出して、手を振ってくれる。なるほど、そうかって、人の心のつかみ方を覚えましたね」

ーー落語界のアウトローである談志の影響を受けた木久扇だが、漫才界のアウトローとも親しかった。

横山やすしさんは、大阪から東京に出て来ても友達がいなかったので、決まって、僕が呼び出されるんです。“どっか、連れてけや”って。

 やすしさんは、なぜか、いつもサイフを持たないので、僕が払わされました。だから、僕の落語のごひいきさんのママがいる、安く飲ませてくれる銀座のクラブに連れて行きましたね」