野球の知識が乏しい一般視聴者にも分かりやすい言葉で話してくれるためか、ワイドショーで姿を見かけることが多い五十嵐亮太さん(44)。その分かりやすさは、長いプロ生活で培われたものであることは間違いないだろう。NPBからMLBへ、そしてNPBと、23年にわたるキャリアの中で経験した「CHANGE」を聞いてみた。【第4回/全5回】

五十嵐亮太 撮影/有坂政晴

それなりで成績を残せた日本時代

 2009年、五十嵐亮太さんはMLBのニューヨーク・メッツでプレーするべく、海を渡った。人生最大の「CHANGE」は、このメジャーで過ごした3年間だったというが、その時間は貴重であり、つらい日々だった。

「日本にいるときは、自分の考えに柔軟性がないような気がしていたんです。いろいろな球種を投げるようにしていたし、投げたいと思っていたんですけど、結果、投げられなかったんです。ただ、投げられなくても、成績は残せていたんですね」

 当時の五十嵐さんは東京ヤクルトスワローズで、セットアッパーとして活躍していた。武器は最速158キロを記録したストレートと、平均球速138キロのフォークだ。

「これで自分はいいのかなって、成長というか変化が感じられなかったんです。このままだと終っていく自分がなんとなく見えたので。メジャーに挑戦というよりも、より高いレベルでプレーすることで、なにか新しいものを見いだせるんじゃないか、と考えたんです。もちろん、ワールドチャンピオンになりたい、ポストシーズンに進みたいという気持ちはありました。それよりも、何か自分に変化をもたらしたかった、というのがアメリカに行った一番の理由ですね」

 自らに「CHANGE」を期待してのメジャー移籍。五十嵐さんはその世界で、自信の野球観が大きく変わったという。