元横綱白鵬。通算1187勝、史上最多45回の優勝、2010年には63連勝を記録するなど、記憶にも記録にも残る名横綱だ。15歳でモンゴルから来日し、宮城野部屋へ入門。2001年3月場所で初土俵、それから6年で横綱に昇進し第69代横綱を襲名。2021年9月場所で現役を引退し、13代目宮城野を襲名した。都内にある宮城野部屋で20年の土俵人生で経験した「CHANGE」を聞いた。【第2回/全4回】

宮城野親方(元横綱・白鵬)

 2010年11月、九州場所のために福岡に乗り込んだ白鵬は、日ごとに増えていく報道陣や後援会関係者たちに囲まれながらも、黙々と朝稽古をこなしていた。

「(69連勝を)意識しないほうが難しいような状況でしたけれども、今ままで通り1番1番勝ち星を積み重ねていくことしか考えていませんでした」

 白鵬は当時の思いをこう語る。

 こうして迎えた九州場所初日は、前頭・栃ノ心戦。上手投げで幸先のいい白星でスタートした白鵬の2日目の対戦相手は、稀勢の里(前頭筆頭)だった。

 じつは、稀勢の里と白鵬の初めての取組は、幕下時代(03年秋場所)に遡る。当時、萩原と名乗っていた若き稀勢の里は、天性の素質で注目されていた力士だった。萩原と熱戦を繰り広げ、物言いの末、取り直し。

「取り直し後の一番で、私が勝ったんですよ。普通、幕下の取組がメディアに注目されることは少ないんですが、この時は対戦前から土俵下にカメラがいっぱい! 萩原が注目の力士だったことを、当時の私は知らなかったのです(笑)」

 初対戦では、切り返しで萩原から勝利したのだが、その後、長い間2人が記憶に残る相撲を取ることになろうとは、白鵬自身も想像していなかったという。

 64連勝を賭けた稀勢の里戦、立ち合いから激しく攻めていったのは、白鵬だった。

「攻めていく途中で、“勝った!”と思っちゃったんですね。その後、我を忘れて張り手に行って、気がついたら、土俵下に落ちていました。
 “勝つと思うな。思えば負けだよ”
 大鵬親方に掛けていただいた言葉なのですが、まさに、『勝つ』ことにこだわり過ぎた、私の完敗です」

 連勝が63で止まった白鵬は、土俵下で呆然とした表情を見せた。

「これが負けか……」

 すぐに気持ちを切り替えることは、難しかった。

「宿舎に帰る途中から、これまでの疲れが一気に出て、“このままじゃ、明日、朝稽古の稽古場に降りられないな……”と思っていたんです。でも、その夜に、モンゴルの父と親しい知人に、“明日の朝、必ず稽古場に降りなさい”と電話で諭されて……。
 翌朝はそれを実行して、稽古をしたことで、気持ちを吹っ切ることができました。この一番は、横綱・白鵬として、次のチャプターに進むにあたっての転機になったと思います」

 63連勝の偉業を遂げた白鵬は、モンゴルで生まれ育った少年時代、相撲に興味があるわけではなかったという。