少年時代はバスケに夢中だった
父、ジジド・ムンフバト氏は振り返る。
「5人きょうだいの末っ子のダヴァ(白鵬)は、私たち夫婦がとてもかわいがって育てた子どもです。甘えん坊で、中学に入る前くらいまでは、3人一緒にベッドで寝ていたくらい(笑)。
そして、すぐ上の姉(バーサンジャルガルさん)とは、年が近いこともあって、ケンカをしたり、家の中で相撲を取っていたことを思い出します。小さいダヴァは、姉さんに勝てなかったけどね(笑)」
18年、他界した父は、元モンゴル相撲の横綱で、レスリング選手として、東京オリンピック、メキシコオリンピックに出場。メキシコオリンピックでは、モンゴルに初のメダル(銀)をもたらした、国民的英雄である。
そのため、白鵬の実家には、国内外からさまざまな相撲関係者が訪れ、小学生の時には二子山理事長(当時=元横綱・若乃花)とも会ったという。
「もちろんその時、理事長だとは知らなかったのですが、日本からのおみやげに『うまい棒』をいただいた。あれはおいしかったですね(笑)。力士を知ったのも、その頃かな? 日本の雑誌に力士の写真が載っていて、“お相撲さんって、カッコイイなぁ”と思ったことを覚えています」
ただ、当時の白鵬にとって、力士は憧れの存在というだけで、実際に励んでいたのは、バスケットボール。マイケル・ジョーダン選手に憧れて、日が暮れるまで夢中になっていた。
12歳からはレスリングも始めたのだが、父は白鵬の行動を束縛することはなかった。
「自分がレスリング経験者だからわかるのですが、最初の頃は強い人に投げつけられたりして、気持ちが萎縮してしまうこともあるわけです。だから、彼の将来を考えたら、好きでやっているバスケットボールを続けたほうがいいと、私は思ったのです」(ムンフバト氏)
父の大きな理解の中、バスケ少年だった白鵬は、その後、大きく運命を変えていくことになる。
取材・文/武田葉月
■宮城野 翔(みやぎの・しょう)
本名:白鵬 翔(はくほう・しょう)1985年3月11日 モンゴル ウランバートル出身。第69代横綱。2010年初場所から63連勝を記録するなど輝かしい戦績を残す。2021年に現役引退。2019年に日本国籍を取得し、現在は年寄・宮城野。生涯戦歴 1187勝247敗253休。受賞歴 優勝45回/殊勲賞3回/敢闘賞1回/技能賞2回