中学2年生の植草さんが衝撃を受けた“天才”
そんな植草さんが芸能界へと足を踏み入れたのは中学2年生のころだった。
「俺は材木店の息子だったんで、芸能界なんて興味もない。そんなときに友達が“お前、ジャニーズ顔だから一緒に応募しようぜ”って。そしたら、電話が掛かってきたんです」
実家がある千葉県から、友人と2人でテレビ朝日のリハーサル室へと出向き、入所が決まった植草さん。当初は、練習に行ったり行かなかったりを繰り返していたという。その理由を聞くと、返ってきたのは意外な答えだった。
「田舎のクソガキだったし、ダンスを踊るってこと自体が恥ずかしかったんだよね。“男が踊りかよ〜”みたいな。絶対、やりたくないって思ったもん」
そんな植草さんが「天才がいる」と紹介されたのが、のちに少年隊のメンバーとなる錦織一清だ。
「初めて会ったときはビックリしましたね。一人、バック転を決めちゃうんだもん。カッコいい! みたいな。ニシキのバック転を見た瞬間、20~30人いたみんなと一緒に、バック転を練習し始めました(笑)」
その後、東山紀之を加えた3人は、高校時代を原宿にある合宿所で過ごすことになる。のちに少年隊を結成することになる錦織と東山のことを植草さんは、どのように見ていたのか。
「とにかく、ヒガシは出会った頃からストイック。学校から帰ってきても大好きだったマイケル・ジャクソンのMV(ミュージックビデオ)を見ては、ガッチャン、ガッチャン、バーベルを使って、うるさいくらい筋トレしてる。
ニシキは、当時からみんなを引っ張っていくタイプでしたね。合宿所でも俺が寝てると、自作のテープを持ってきて“ちょっとこれ聞いてみろよ”って、“こんなメロディやりたいよな”って、しょっちゅうそんな話ばかりしていましたよ」
苦楽を共にした少年隊のメンバーの一人である東山は、23年の12月末で芸能活動から身を引いた。この決断を植草さんはどのように受け止めたのか。
「ヒガシとは言葉を交わしてはいません。今はヒガシも大変だと思うし、連絡しても迷惑でしょうしね……」
事務所を去るタイミングで交わした言葉がある。
「20年12月に事務所を辞めたんですけど、最後に『少年隊 35th Anniversary BEST』をリリースしたんです。そのとき、“すべてのプロデュースは任せるよ”って。ニシキとヒガシには言ってもらいました」
東山の芸能界引退により、今後、少年隊が復活することはないのだろうか。
「今は……実現はそう簡単ではないのではないでしょうか。3人が納得できる形で、グループ活動を再開できるときが来たら復活の可能性はあるかもしれませんね」