1985年に『仮面舞踏会』でレコードデビューした、3人組アイドルグループ・少年隊東山紀之錦織一清と共に活躍し、『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)など数々の名作ドラマへの出演などでも知られる植草克秀さんの、人生の分岐点、THE CHANGEとは――。【第1回/全3回】

植草克秀 撮影/有坂政晴

 日本エンターテインメント業界に、燦然と輝くスターたちを生み出し続けたジャニーズ事務所。その事務所から独立するタレントのマネジメント会社として『STARTO ENTERTAINMENT』の名前が発表されたのは2023年12月8日のことである。時代を象徴するトップアイドル、少年隊として大活躍した植草克秀さんは、その教え、その経験を、どのように生かしているのか。芸能界を2023年12月末で引退した盟友・東山紀之への思いとともに、植草さんの人生の転機・THE CHANGEについて聞いた。

「多くのことを語るつもりはありませんが、前事務所には感謝しています」

 かつて、3人組アイドルグループ少年隊のメンバーとして活躍した植草克秀さん。

 取材日となった12月8日は、植草さんの人生が大きく動いた日でもある。20年12月末まで40年間所属していた古巣ジャニーズ事務所のタレントたちのマネジメントを担う新会社『STARTO ENTERTAINMENT』の商号が決定し、本格スタートしたのだ。植草さんは、どのように受け止めたのか。

「それは寂しいですよ。自分の人生の大半を過ごしてきた会社がなくなるんですから。自分の生まれ育った場所がなくなったら寂しいでしょう。それと同じ思いです」

 さらに、こう続ける。

「僕らにとってショービジネスのイロハを教えてもらった場所でした。たとえばデビュー曲である、レコード『仮面舞踏会』のジャケット写真は、僕と、ニシキ(錦織一清)そしてヒガシ(東山紀之)の3人、それぞれがセンターにいるバージョンを作って発売したんですよ」

 通常なら1枚しか作らないはずのレコードを、3枚制作。ジャケット写真を3パターン用意することで、レコード売り上げ枚数のアップに見事、成功したのだ。

 時代を読む力にも長けていたと植草さんは明かす。

「コンビニが街中に出始めた頃には、“そこでCDを売ればいいじゃないか”と話していました。ファンの方は24時間、いつでも好きなときにCDを手に取れるし、便利だろうという理屈です」

 時代に即したショービジネスのあり方は、1986年に初演の幕が上がり、少年隊のメンバーが主演を務めた舞台『PLAYZONE』でも発揮された。

「舞台の上には当時、希少だったバリライト(ムービングライト)が付いていて、俺たちの動きに合わせて照明も動くわけですよ。少しでもライトの動きが悪いと、技術さんが飛んでくる。修理をしている間は、舞台に立つ僕らでさえ、絶対にライトの中は見せてもらえませんでした」