1987年、フジテレビに入社し、アナウンサーとして『とくダネ!』『ナイスデイ』など、情報や報道を中心に多くの番組を担当してきた笠井信輔。フリー転身直後の2019年には「悪性リンパ腫」のステージ4であることを公表。過酷な闘病生活も経験した。そんな笠井の「THE CHANGE」とはーー。【第2回/全2回】

笠井信輔 撮影/石渡史暁

【1本目はコチラ】  元フジテレビ笠井信輔インタビュー「リポーター降格、報道局移籍、日本大使公邸占拠事件」転機を支えた羅針盤の存在

 

 情報番組に戻った私は、2019年まで『とくダネ!』という朝の番組を20年間やっていました。はじめの頃は30分から1時間ほどしゃべっていたのに、じょじょに減っていって、最終的には5分くらいしゃべれたらいい……そんな状況になっていました。

 これはもうダメだな、このまま管理職の道を歩むのかな……と思っていた55歳のとき、大好きな山下達郎さんのコンサートに行ったんです。そうしたら達郎さんがMCで「私は55歳のときに全国ツアーを復活させました。55歳の決断があったから、今がある」とおっしゃったんですね。

 “そうだ、私も今が決断のときだ”と、そこからフリーになる準備を進めたんです。

 そして、あと2か月で退社という頃、私は体調に異変を感じました。症状は排尿障害と腰痛でしたが、“これはがんだな”と確信して、2つの病院で検査を受けました。でも、なかなか正しい診断が出ない。

 そのまま9月30日をもって退社。フリーになった初日のスケジュールは、腫瘍内科でのがん検査だったんですよ(笑)。

 結局、病名が分かったのが4か月後。「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」という血液のがんでした。

 フリーになったアナウンサーには「辞めアナ特需」というのがあるんですね。局アナを辞めた直後は、他のテレビ局が珍しがって使ってくれる。フリーアナにすれば、そこで自分の力を示して、後につなげていくという大事な時期なんです。しかし、退社2か月で「がん」、それができませんでした。

 そこで始めたのが、SNSでした。入院して、抗がん剤治療を受けながら、私は毎日インスタグラムとブログを更新して、自分の“今”を届けました。