赤と青のジャージ、ギター片手に「なんでだろう♪」で一世を風靡したテツandトモ。2003年の大ブレイクからしばらく後、テレビ出演の機会が減って「消えた一発屋」と呼ばれるも、実は全国各地で年間約200本のイベントに出演する「隠れ売れっ子」として現在も活躍していることは、つとに知られている。結成から25年を超えた彼らの「THE CHANGE」とは――。【第2回/全5回】

テツandトモ 撮影/向後真孝

 歌手・役者になるつもりが、事務所から「お笑いをやってみないか」と言われて芸人の道を歩むことになったテツandトモ。結成当初は漫才やコントをやってみるもうまくいかず、得意とする音楽を使ったネタをつくる方向へ早々に切り替える。そしてトモさんがたまたま思いついた「なんでだろう♪」のフレーズが二人の運命を大きく変えた。

トモ「『なんでだろう』ができた途端、オーディションに受かるようになったんです。コンビを組んで3カ月後には運良く『ブレイクもの!』(フジテレビ系)、『お笑い向上委員会 笑わせろ!』(テレビ朝日系)、半年後には『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)などに出させてもらいました。ライブのネタ見せも通るようになって、浅井企画さん、サンミュージックさん、オフィス北野さん、あとはシアターDだとか、とにかくいろんなライブに出てましたね。多いときで月に15回くらいかな」

 当時の東京では、自前の劇場を持つ吉本興業以外の若手芸人たちは各事務所が主催するライブを主戦場にしていた。だが二人が所属した事務所にはお笑い部門がない。他事務所のライブに出るためにはオーディションに受かる必要があった。実はテツandトモの代名詞でもある赤と青のジャージという衣装も、そのために生まれたものだ。

トモ「審査員の方に“あいつら、また来たな”ってすぐわかってもらえるように、目立つ格好をしようと思ったんです。みんなジーンズにトレーナーで同じような格好だったから、違うことをしたら覚えてもらえるだろうって。お互いの高校時代のジャージが赤と青でちょうどよかった。だからそこを突破するための手段として着ただけで、すぐ脱ぐつもりでした」
テツ「若かったし、カッコいい路線でいくことを当時から諦めていたわけじゃないんですよ(笑)」

 この作戦が功を奏し、観客からも「赤と青の人だ」と認識されるようになったため、結局そのまま定着。そしてあちこちのライブに出る中で大きなチャンスがめぐってくる。