年下のライバルたちに「絶対に負けたくない」

 二人にとって『オンバト』の現場はある種のアウェイだった。日頃から交流を持って切磋琢磨しあっている他事務所の芸人たちの輪には入れず、個人的に親しくなるようなこともなかったという。

テツ「年齢も離れてましたからね」
トモ「デビューが27歳だったんで、先輩がみんな年下なんですよ。それに、みんなライバルだったから。ニコニコはしてましたけど“ぜっっったい負けたくない”って気持ちはありました」

「絶対」の言葉に力を込める。当時から目指していたのは「子どもからお年寄りまで、たくさんの方に笑っていただける芸をする」こと。若手芸人は各々が「自分がいちばん面白い」と信じてそれを証明すべく競い合うのが常だ。『オンバト』に集まっていた面々もそうだっただろう。

「俺、自分が面白いと思ったこと、一回もないですよ」というテツさんのようなタイプは稀だっただろうし、「幅広い層に笑ってほしい」と考えている芸人も少なかったはずだ。そんな真逆のスタンスでありながら、負けたくない気持ちは人一倍強かった。

トモ「ネタをやる前から“この人たちは受かるだろうな”って人がいるわけですよ。“やばい、今日はアンタッチャブルさんが一緒か”“オーバードライブさんと一緒か……”」
テツ「“ツインカムさんの後の出番、嫌だな”“ますだおかださんいるんだ、じゃあもう一枠は潰れたな”とかね。懐かしいねぇ」

 そこで「そうだ、思い出した」とトモさんが記憶の扉の蓋を開ける。

トモ「ラーメンズさんとは一緒にライブもやって、仲良かったですね。99年にインディーズで『なんでだろう』のCDを出したときに小林(賢太郎)さんにジャケットを描いてもらったんです」
テツ「そうだそうだ。合同でネタやったり、ラーメンズさんのライブを見に行ったりもしてましたね」

 まるで正反対の芸風の二組が若き日に交流を持っていた事実は、今や意外に感じる人もいるかもしれない。しかもそのつながりは現在も続いているのだ。

トモ「実はこの間、神奈川で営業をしていたときに小林さんから“今見てるよ”ってメールが来たんですよ。びっくりして“何やってんの! 会いたいんだけど!”って連絡して楽屋に来てもらって、“久しぶり~~!”“今度メシ行きましょう”なんて盛り上がりました。うれしかったですね」

テツandトモ
●中本哲也(なかもと・てつや)
1970年5月9日生まれ。滋賀県出身。
●石澤智幸(いしざわ・ともゆき)
1970年5月10日生まれ。山形県出身。
日本大学藝術学部演劇学科の同級生同士で1998年に結成。1999年の放送開始と同時に『爆笑オンエアバトル』(NHK)に出演し、常連に。『M-1グランプリ』2002年ファイナリスト。2003年に『テツandトモのなんでだろう~両さんバージョン~』などをきっかけにブレイク。現在もお笑いと歌で全国各地のイベント等に出演を重ねる。レギュラー番組に『テツandトモのなんでだラジオ!』(山形放送)がある。

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