赤と青のジャージ、ギター片手に「なんでだろう♪」で一世を風靡したテツandトモ。2003年の大ブレイクからしばらく後、テレビ出演の機会が減って「消えた一発屋」と呼ばれるも、実は全国各地で年間約200本のイベントに出演する「隠れ売れっ子」として現在も活躍していることは、つとに知られている。結成から25年を超えた彼らの「THE CHANGE」とは――。【第4回/全5回】
2002年の年末、テツandトモは『M-1グランプリ』に出場する。『M-1』はこの年が2度目の開催だ。エントリーした理由をたずねると、トモさんが「実は……」と経緯を明かしてくれた。
トモ「(島田)紳助さんと一緒に『M-1』をつくられた谷良一さんというプロデューサーがいらっしゃるんですが、僕が吉本にいたときのお芝居のプロジェクトも谷さんを中心につくられたものなんですね。吉本を辞めてからは縁が切れていましたが、僕がテツandトモとしてある番組に出演した時、偶然谷さんと再会したんです。
その時、“『M-1』に出てみないか?”と直接声をかけてくださいました。“僕らは漫才じゃないですから”とお茶を濁したのですが、“お笑いの歴史の中には音曲漫才がある。マイクを一本立てたら漫才なんだよ”と仰ってくださったんです。我々にも参加する権利があることを知りました」
テツ「僕としては、このスタイルでも出ていいって言ってくれてるんだったらチャンスだし、ぜひチャレンジしたい、って」
トモ「それでエントリーしたんです。大きな挑戦でした」
テツさんは「『M-1』のために、ひとこと言うときに顔をマイクに寄せる練習をしましたよ」と、動きを再現しながら回想する。決勝進出を知らせる電話を受けたとき、喜びつつもトモさんの胸には「僕たちでいいのだろうか。でも出るからには頑張ろう」という思いが去来した。
トモ「出場者はお互いが“敵”って感じで、決勝の現場はみんなピリピリしてましたね。僕たちもとても緊張してました。もちろん結果を出すことも大切ですが、自分たちの芸をたくさんの方々に知ってもらいたいという気持ちで全力でぶつかりました」
テツ「無心で動いていたような気がします」
トモ「もちろん決勝には残りたかったけど、ここまで出られただけで本当にありがたかったです」