ピアノを習い始めてすぐ後悔、「つまらなかった」

「両親が音楽をやっていたので、家に古いピアノがありました。子どものころからおもちゃがわりに遊んでいたんですけれど、5歳の時に“習いたい”って言ったんです。でも、習い始めてみてすぐ後悔しました。

 とにかくつまらなくて、でも親は絶対に辞めさせてくれなかったので仕方なく習っていました。『いろおんぷばいえる』という音符に色がついた楽譜を使っていたのですが、それが自分の原点かもしれないですね」

 子どものころから自然と身についていた作曲活動。その裏には両親の影響もあった。

「父はビッグバンドでジャズを演奏していて、トランペットを吹いていました。母もクラシックの声楽をやっていたのですが、父のバンドのマネージャーみたいなこともやっていたらしくて。10代 の頃までは私の曲作りにも口を出してうるさかったです。

 家にはジャズとクラシックのレコードしかなかったけれど、いつでも音楽が聴ける環境でした。あとは、お小遣いで欲しいものを買ったりしていました」

――今のような楽曲づくりをするようになったのはいつ頃からでしたか?

「最初の曲は、歌詞が先だったか、曲が先だったのか覚えていないんですが、童話作家の浜田広介さんが好きだったので、幼稚園のころから詞は作っていました。初めて曲を作ったのは7歳だったので、その時は作詞が先だったのではないかって思いますね」

 メロディと歌詞のハーモニーが自然な谷山さんの楽曲だが、どのように制作しているのだろうか。

「中学生になってから、父親からコードを教えてもらいましたが、小学生のころは、コードはなしでメロディだけ作っていました。ピアノを習い始めた5歳のときから、練習は嫌いだったけれど、ピアノを弾きながら歌うのは楽しかったので、好きな曲を自分の耳でコピーして弾いていました。最初はものすごくつたない伴奏だったのですが、なんとかオリジナルに近づけようと頑張ってマネしていました。

 5歳から通っていた音楽教室では、ピアノと並行してソルフェージュ(※楽譜を読むことを中心とした基礎訓練)も習っていました。そこで譜面の書き方を教わっていたので、メロディが浮かんだらそれを譜面に起こすことができたのが、作曲に関しては大きかったのかもしれないです」

谷山浩子 写真/能美潤一郎

 デビューのころから変わらない谷山さんの澄んだ歌声。唯一無二ともいえるその個性を、本人はどう感じているのだろうか。

「若いころと比べると声は変わりました。15歳のときのデビューアルバム(『静かでいいな 〜谷山浩子15の世界〜』、1972年リリース)の声は、子どもっぽい歌い方です。でも人前で歌う時に、昔の曲を崩したりして歌うのはお客さんががっかりするだろうなって思うので、歌い方をできるだけ変えないようにしています」

 天賦の才能を感じさせる谷山さんだが、その原点は幼少期の音楽教育なのかもしれない。

谷山浩子(たにやま・ひろこ)
1956年8月29日生。神奈川県出身。シンガーソングライター。中学在学中からオリジナル曲を作り始め、1970年にベイビー・ブラザーズのシングルで作詞作曲家としてデビュー。1972年4月25日、アルバム『静かでいいな 〜谷山浩子15の世界〜』とシングル『銀河系はやっぱりまわってる』で一度目のデビュー。1974年『第7回ポピュラーソングコンテスト』で『お早うございますの帽子屋さん』が入賞。同曲で翌年、再デビュー。1977年シングル『河のほとりに』をリリースし、3度目のデビュー。以後、「オールナイトニッポン」をはじめとするラジオ番組のパーソナリティ、童話、エッセイ、小説の執筆、全国各地でのコンサートなど、精力的に活動中。

「duo 20th Anniversary Live ROLLY & 谷山浩子」
日時:4月25日(木) 18:15開場/19:00開演
会場:Shibuya duo MUSIC EXCHANGE
出演:ROLLY / 谷山浩子
お問合せ:duo MUSIC EXCHANGE 03-5459-8716

「谷山浩子 放課後の音楽室~佐山こうた先生と~」
日時:6月8日(土)17:00開場/17:30開演
会場:東京文化会館小ホール
出演:谷山浩子 / 佐山こうた(pf)
お問合せ:東京音協 https://t-onkyo.co.jp/

「谷山浩子 Billboard Live」
日時:2024年6月27日(木) 
1st ステージ 開場16:30 開演17:30/2ndステージ 開場19:30 開演20:30
会場:Billboard Live YOKOHAMA 
出演:谷山浩子 佐藤研二
お問合せ:ビルボードライブ横浜 0570-05-6565