英語を上達させたかったら恥をかくこと

 母国を離れた生活は、心細くなかったのだろうか。八神さんは「アメリカで生活している間は、日本のことが気にならなかった」と語る。

「アメリカにいると、日本の情報が入ってこないからわからないじゃないですか。どんなアーティストが活躍しているのかもぜんぜん知りませんでした。
  “現地では日本人とのお付き合いをしない“って決めていたので、異なる環境で生活するだけで精一杯。日本人と集まっていると、日本語ばかり話すから英語が上手くならないと思ったんです。日本語の放送も観ないようにしていましたね。テレビも夢中になって海外ドラマを観ていました。そういうものを観ているうちに、英語もどんどん上手くなっていったんです」

 今では字幕なしで映画もわかるという八神さん。移住前の語学レベルはどれくらいだったのだろうか。

「事前に英会話の準備は、まったくせずに移住しました。事前に勉強しても、そんなに意味がないと思います。当たって砕けろの精神です。語学を学ぼうと思うのなら、冷や汗をかくしかないんです。みんなが笑っているところで、自分1人だけが分からずに孤独を感じる。そういう経験をしないと、語学は身につかないと思います」

 移住後も、アメリカと日本を行き来しながら定期コンサートを続けていた。しかし、2000年代になると、ほぼ活動休止状態に突入する。また再び歌うようになったのは、東日本大震災の影響だった。

「震災のニュースは、海外でもリアルタイムでトップニュースで扱われていました。災害の大きさを見て、日本でもう一度歌いたいって感じたんです。自分が音楽で何かできることがないかって考えました。その場合、もう少し腰を据えて活動をやらなければとも思いました。それがものすごく大きなきっかけでしたね」

 日本でまた再び活動するようになったのは、コンサートと音楽番組への出演がきっかけだった。

「2011年5月に日本でコンサートをやる予定でした。震災後は、その機会を逃すともう日本で歌うことはないだろうなって感じていました。同時期に、NHK『SONGS』に出演したのも大きかったです。
 テレビはあまり好きじゃなかったんですけど、音楽仲間から“『SONGS』に出ないと、もう日本で歌う機会はないじゃないかな”って言われたんです。周りから断らない方が良いと言われたこともあって、出演を前向きに考えられた。『SONGS』では、アレンジも全部新しく作り直してくれるし、バックバンドも好きな編成で歌わせてもらえる。これはもう“やるしかない! “って気合が入りました」