戦争も病気も乗り越え、今も現役バリバリ

ーー2人は、いつも閉店時間まで飲んでいたという。

「『蛍の光』が流れて、2人とも店を出ますよね。そのビルは上から下まで全部、クラブですから、閉店時間にはエレベーターに、なかなか乗れないんです。上の階のお客で満員ですから。

 すると、やすしさんはイライラして、“俺より稼いでない奴らのくせに”って、エレベーターの乗客を蹴っ飛ばすんでよ。いつも僕が謝っていました(笑)」

ーー損な役回りだったが、懐の深い木久扇は、やすしとウマが合った。そんな木久扇の人生観に大きく影響を与えたのが、幼い日の戦争体験である。

「小学校1年の頃、東京大空襲を経験しています。あの夜は、外がずっと明るかったんです。爆弾が炸裂する音も近くで聞きました。だから、常に背中に“死”を背負ってきました。
 僕は、がんを2回やっているけど、それは個人の体験です。戦争のときの、世の中全体を覆った恐怖とは比べものになりませんね」

ーー8歳で死の一歩手前まで行った木久扇だが、幸い、がんも克服し、今も現役バリバリだ。

「今は“ここまで生きたか”という思いですね。すごく得をしました。長く元気に生きていれば、その分、いいことがあるんです。
 このインタビューの後も、横浜まで一席落語をやりに行きますが、仕事をすれば入金もある。僕が、なにより好きな言葉は“入金”ですから(笑)」

ーー入金好きで、精力的に活動する木久扇は、体調管理にも余念がない。

「毎日、8時間は寝ています。それから、毎日40分くらいの昼寝をするんです。運動は朝食前にラジオ体操をやります。それに、ケガをした足に筋肉をつけなきゃいけないので、足の指の上下運動と、トレーニング効果を高める加圧ベルトを巻いて足を上げる運動を、40分ずつ4コースやります。
 5年前に禁酒しましたから、飲むのは、いつも白湯か、水。白湯は心が落ち着きますね。炭酸飲料は口に入れません」