1980年代、漫才ブームの最中に大ヒットとなった伝説のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』(フジ)。その中の一つのコーナー「ひょうきんベストテン」の司会、ひょうきんアナ(二代目)を務めた寺田理恵子さん。それまでの女子アナウンサーの概念を崩し、元祖“アイドルアナウンサー”(通称“アナドル”)として、アイドルばりの活躍で人気を誇った寺田さんにとってのTHE CHANGEとは──。【第2回/全4回】
バラエティ番組『オレたちひょうきん族』でアナウンサーの道を歩み始めた寺田さんだったが、やはり相当な苦労があった。
「山村(美智)さんは(お笑いコンビ「西川のりお・上方よしお」の)のりおさんに何かやられたらアドリブでポ~ンって跳ね返したり、リアクションを上手く出来たんですけど、私の場合はどうしようってウロウロするうちに泣いちゃったことがあって(笑)。だから、下手くそ下手くそって言われて、私は向いていないんだろうなって落ち込んでいましたね」
そんな時、優しく声を掛けてくれたのは島崎俊郎と「ザ・ぼんち」のおさむだった。
「ディレクターから“あそこでちゃんと返せよ”って言われて、しょんぼりしてメイク室に帰ると、島崎さんやおさむさんが“大丈夫?”って。皆さん、お仕事とはいえ、強かったりきついことを言って、私が落ち込んでいると“御免ね、御免ね”って言って下さったんです。私もジョークだとわかっているんだけど、全部真に受けちゃう。帰宅すると、いつも蒲団を被って泣いていました(笑)」
86年にはCDも出し、文字通り、アナドル(アナウンサー+アイドル)として活躍。
「それは上司から言われての仕事でしたね。あの頃は上司から言われたことはすべて『はいはい』って聞いていましたね。それでも、2回だけお断りしたことはありました。ひとつは海外赴任。ニューヨーク支局に行ってくれというお話でしたが、英語が出来ないからとお断りしたんです。もうひとつは『プロ野球ニュース』でのお仕事。私、スポーツは苦手なんで、とても引き受けちゃいけないと思いました」
『プロ野球ニュース』のアナウンサーといえば、めちゃくちゃ花形のように見えるが……。
「それって多分、中井美穂さん以降のことじゃないかしら。中井さん、すっごく勉強されていたんですよね。私も当時、バラエティの仕事で宮崎やグァムのキャンプに行ったことがあるんですが、そこで、選手の方が声を掛けて下さったことがあったんです。多分、選手の方も『ひょうきん族』を見て下さっていたんでしょうね。それで、私もちょっとニコニコって返したら、先輩に“寺田、ここではそんなんじゃダメだ。こっち来い!”って言われたことがありました。そこは私も反省すべきところだったのかもしれませんよね。でも、ニューヨーク行きとプロ野球ニュースを断ったことに対しては後悔はしませんでした。フジテレビにも迷惑を掛けないで済んだと思いましたし、賢明な選択だったと思います(笑)」