諦めずに自分と向き合い、静かに心身を回復

 ライブ中、昔から応援してくれていたファンに「なんで、政界に挑戦したの?」と素朴な疑問を投げかけられたことも、一因だった。

「そのときに、ハッとしたんです。ずっと応援してくれているファンがいるのに、今回のことで、自分のキャリアに傷をつけてしまったのかもしれない……と」

 そして今年に入り、前述のとおりSNSの更新が途絶えることとなった。再開したのは3月3日。《ただいま! 長いこと留守にしてしまい大変申し訳なかったです(中略)昨年末辺りから調子を崩してしまい,仕事以外はほぼ自宅で静養をしていたものの,かなり長引いてしまいました》と、休止していた理由を綴り、回復してきたことをアピールした。

ーー静養中はどんな生活をしていましたか?

「家で動けませんでした。文字通り、体が動かない状態で、ネガティブな事ばかり考えて、ずっと暗く淀んでいて。そのせいで家も暗い雰囲気になったと思いますし、迷惑をかけてしまいました。ただ、病院にも行きましたし、ひとりでずっとベッドにいるとおかしくなってしまうので、朝7時に起きて、ウォーキングやストレッチをしたり。余計な情報は極力入れないように、テレビやSNSは控えていましたね」

ーー起きているとき、どんなことを考えていましたか?

「悪いことって、ほんとうにキリがないものなんですよね。人間だからどうしても考えてしまう。そんなときは、頭を振って、バーン! と消していました。自分自身のことにも、そこで改めて気づくわけです。これまで自分のことを二の次・三の次にしていたなあと。これからはもっと、自分を大切にしなきゃいけないと、ケアすることを意識しました」

 出口の見えない底で、大沢さんは諦めずに自分と向き合い、静かに心身を回復させた。

「昔から何があっても、”諦めたらここで終わってしまう、それはちがう”と思っていました。“諦め”が見えそうになったときは、あとはもう、上がっていくだけというタイミングなんです」

 その原動力は「諦めたくない」という、デビューしたときから変わらず備わり、大沢さん自身を奮い立たせてきた気力だったのだ。

つづく

大沢樹生(おおさわ・みきお)
1969年4月20日生まれ、東京都出身。1982年にジャニーズ事務所に所属すると、1987年に光GENJIのメンバーとしてレコードデビュー。1994年に光GENJIを脱退。俳優やミュージシャンとして活動。2006年に自身の会社を設立し、映画制作業にも乗り出す。2022年11月に東京・北区区長選挙への出馬を表明するも、翌4月5日に不出馬を表明した。