頭の中が真っ白な状態に

 翌年1月下旬には北区に住民票を移し、本格的に街頭演説を開始。地元民と積極的に交流した。しかし、4月5日、突然の出馬辞退を記者会見で表明するのだ。会見には、ライバルであった当時の現職・花川与惣太さんも同席した。そして、花川さんの支援に回ることを発表したのだった。

「いろいろなたくさんの方が関わっているのであまり詳しくはお話できないのですが……正直、こういった展開になったことは自分の中では想定外で、当時は頭の中が真っ白な状態でした」

ーー急に不出馬の打診があったということですか?

「急にというか、薄々は"これまでとちょっと動きがちがうかな”というのはあったんですけど、これ以上は、ごめんなさい。僕も立候補はしたものの、いま思えば選挙に対する知識が薄かったので、いろいろな駆け引きについていけない部分もあったんだと思います。“こういうことが、当然のように起こる世界なのだな”と、感じました」

 出馬断念の余波は、予想外に長く響いた。

「これまでも、芸能界の方が立候補したとき、落選したり政界に入らないケースも見てきて知っていたので、僕自身も”これからどうしよう”と思いました。でも、すぐに答えはでなかった。実際、現状もちょっとは引きずっていますしね」

ーーいまも?

「そうですね。出馬の打診をされてから、心の準備のをする期間も含めると、すごく長い時間をかけて今回のことと向き合ってきたので。でも、最後も自分で決意をして手を下げたわけです。それでじゃあ、“芸能界の世界に戻って普通に再出発しましょう”というのは、芸能界にも失礼だし、それは考えられませんでした。だから、なんていうんでしょう……。“あれ? 自分の居場所が、なくなっちゃった”、そんな感覚です」

 真剣に取り組んだからこそ、その喪失感は計り知れなかった。そう簡単に割り切ることができず、大沢さんは心身に支障をきたすこととなった。

「そんな心境で芸能の仕事をするわけにはいかないし、自分が宙ぶらりんになって。焦りもありました。ただ、こう思うようにしたんです。これまで何十年も走ってきたので、神様が、"先のことを考えて、おまえはここで一回休憩しろ”と言ってくれているのかな、と。それで、極力焦らないように、休みながらやろうと」

 いまも「乗り越えようと、一歩一歩」、ゆっくりと踏みしめるように歩みを進める大沢さん。冒頭、握手したときに感じたてのひらの温度は、そんな歩みで発電したように、熱を帯びていた。

つづく

大沢樹生(おおさわ・みきお)
1969年4月20日生まれ、東京都出身。1982年にジャニーズ事務所に所属すると、1987年に光GENJIのメンバーとしてレコードデビュー。1994年に光GENJIを脱退。俳優やミュージシャンとして活動。2006年に自身の会社を設立し、映画制作業にも乗り出す。2022年11月に東京・北区区長選挙への出馬を表明するも、翌4月5日に不出馬を表明した。