焦燥感や切迫感がこれでもかというほど、新作『ナチュラルボーンチキン』に詰まっている

 その時期の苦しみは、いまでも金原さんの中で生々しく残っている。それが今回のオーディオファースト作品『ナチュラルボーンチキン』で、主人公・浜野文乃が不妊治療にのめりこんでいく心理として生かされている。

「次の子をもつために障害になるものはすべて殺す、という勢いで子どもに気持ちが向かってしまう心理状態が、私にも多少分かるんです。どんどん自分も周囲も追いつめていっていることにも気づけない。振り返って初めて分かる。あの切迫感を、いつか書きたいと思っていたんですが、なかなか生かせる設定がなかった。今回、浜野さんのキャラクターを考えているときに、彼女にならあのときの思いを託せるんじゃないかと思いつきました」

 恐ろしいほどひとつの価値観に縛られて、身動きがとれなくなり、それを少しでも阻止するものは回避し、攻撃して自分を守る。作品の中の浜野の気持ちは、読んでいて心が痛む。そうしなければ彼女は自分を守れなかったのだが、その固執した価値観がすべてを破壊することもあると作品は教えてくれる。

「リアルにあのときの感情が、私自身もよみがえってきました。私自身はそこまで深刻な状況にはならなかったのですが、自分が求めているものが意思や努力によって実らないという体験が、いかに精神を破壊するかを身をもって体験したことは、今回の小説に生きたと思います」

 人生、自分の思い通りにならないことがあったとき、どう対応していくかが重要なのかもしれない。

 恋愛関係や、人間同士の関係性における分裂や乖離(かいり)を描いてきた金原さんだが、今回の『ナチュラルボーンチキン』には今までとは違う、痛みを超えた温かな関係性の構築が感じられた。

 金原さんは、常に新しいテーマにチャレンジしていっている。昨年は『腹をすかせた勇者ども』(河出書房新社)という中学生をヒロインにした小説を書いた。独特のヒリヒリ感がありつつも、最後には明るい展開が待っている。

「自分とは違う明るさを書いてみて、少しすっきりした感じはありますね。現代の若者の明るさを書き切ったので、今度はダークな側面も書いていきたいと思っています」

金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
作家。1983年生まれ、東京都出身。2003年『蛇にピアス』(集英社)ですばる文学賞受賞。翌年、同作で芥川賞受賞。’10年、小説『トリップ・トラップ』(KADOKAWA)で織田作之助賞、’12年、『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞など、あまたの文学賞を受賞。’12年から2女を連れてフランスに移住、’18年に帰国。今回、初の試みとしてオーディオファースト作品『ナチュラルボーンチキン』を書き下ろした。

『ナチュラルボーンチキン』

配信日:5月17日(金)
著者:金原ひとみ
ナレーター:日笠陽子
配信URL:https://www.audible.co.jp/pd/B0D33K53SM
あらすじ:仕事と動画とご飯のルーティン生活を送る、45歳一人暮らしの労務課勤務・浜野文乃(はまのあやの)。趣味も友達もなくそれで充足した人生を歩む浜野は、ある日上司の命令で、在宅勤務ばかりで出社しない編集部の平木直理(ひらきなおり)の家へ行くことになるのだったが、その散らかった部屋には、ホストクラブの高額レシートの束と、シャンパングラスに生ハム、そして仕事用のiPadが転がっていて──。 金原ひとみが贈る、中年版「君たちはどう生きるか」。

提供/Audible