1990年にドラフト2位で日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)に投手として入団し、チームのエースとして活躍してきた岩本勉。現在は、野球解説者・スポーツコメンテーターとしてテレビ、ラジオを中心に幅広く活動している彼の「THE CHANGE」とはーー。【第2回/全2回】

岩本勉 撮影/小川伸晃

「スポーツマンシップとは何か」を考えるだけではプロにはなれませんから、技術的な練習を怠りませんでした。当時は、野球が下手くそだったんですよ。ゴロは捕れないし。打つのもまったくバットに当たらないし。でも、失敗すると、かなり悔しかったから、素振りもしましたし、壁にボールを当てる練習を、めちゃくちゃやりました。

 今みたいに、野球の技術に関する情報がないので、眠い目をこすりながらプロ野球ニュースを見て、「プロの選手ってどんな練習をしてるんだろう」って、かぶりついて見ていました。

 当時のリトルリーグのコーチは、近所のおじさんたちなので、野球に対する知識もなくて、「ピッチャーは、とりあえず朝から晩まで走っとけ」って指導でした。 

 僕はそれを真に受けて、走り続けていましたね。ただ、この走っている先にプロ野球があると思っていたので、まったく苦にはならなかったです。僕は全国の同学年の中では、一番走ったという自信があります。中学のときは、朝10キロ、夜10キロ、走ってました。

 振り返れば、当時はいろいろと大変だったんですけど、「絶対に、プロ野球選手になるんだ」と決めていたので、サボろうと思ったことはありますが、野球を辞めようと思ったことは1回もないですね。

 そもそも、僕はプロ野球選手になれなかった未来を考えたことがなかったんですよ。「野球選手になっていなかったら、どんな仕事していたと思いますか?」って聞かれることがあるんですが、考えたことがないので、本当に分からないんです。だから、そんなときは適当に「総理大臣」とか答えています(笑)。