両親の勧めがきっかけで宝塚への扉を開くことに

 自分から習いたいと言って始めた、クラシックバレエ。それが柚希さんの人生をどんどん変化させていった。

「中学は帰宅部で、来る日も来る日もバレエの練習をしていました。高校もバレエ推薦で進学しました。将来、何になりたいかって考えたときに、アメリカン・バレエ・シアター(注:ニューヨークに拠点を置く、世界最高峰のバレエ団)のテストを受けようって思いました。
 高校2年生のときに受験に向けて準備をしていたところ、両親は“海外のバレエ団で成功するのはほんの一握りの人だけ”ということも分かっていて、体型的にもバレリーナには向いていない私を、なんとかやる気をなくさずに踊れる道はないかといろいろ調べてくれて、宝塚を勧めてくれたんです」

 柚希さんは入団するまでは、宝塚に興味があまりなかったという。

「それまで両親も私も、宝塚の舞台を見たことがなかったのですが、“バレエのコンクールで3位以内に入賞ができなかったら宝塚を受ける”という約束をし、受けることに。せっかく受けるのだからと、初めて宝塚を見に行ったらすごく感激して。そこから受験に必要な歌も習い始めました。試験まで2か月余りでしたが、その間は必死に練習をし、なんとか合格をいただきました」

 毎年合格者が40人という、倍率10倍以上の狭き門をくぐり抜けて、柚希さんは宝塚音楽学校に入学した。

「自分でも合格をいただいたときはびっくりしました。でも宝塚の事をあまり知らなかったので、最初はカルチャーショックが強すぎて、“向いていないかもしれない……”と弱気になりました。辞めたいと思ったときに、両親に“あなたが受かったおかげで、すごく努力をしてこられた方が一人落ちている。その人のためには初舞台までは頑張りなさい”って言われた。そうやって毎日、稽古を続けるなかで、だんだんと宝塚が好きになっていきましたね」

 宝塚音楽学校時代は、寮には入らずに、大阪府大阪市の自宅から通っていたと話す。

「私の学年は遠方から入った子が多かったので、私も寮に入りたいと言いましたが、満員で、大阪市から通うことになりました。クラシックバレエでも上下関係はしっかりとしていて、先輩方からいろんなことを教わっていた。でも音楽学校では、バレエとは違う舞台に立つために大事なことをいっぱい教わるので、本当に驚きました」