『M-1』では初めて決勝に進出

 ネタは敗者復活戦で披露した「ギャップのある男」。彼らの漫才の初期の代名詞となる、最後に「今日のネタのハイライト」と振り返るくだりを盛り込んだネタで389KBを獲得して5位に滑り込み、オンエアを勝ち取った(2004年2月13日放送回)。上り調子はそのまま続き、年末の『M-1』では初めて決勝に進出する。「おやおや、穏やかじゃないねぇ」「ハンパねぇ」など彼らの定番フレーズが詰め込まれた漫才で、この年のチャンピオンとなったアンタッチャブル共々、関東の漫才師の新風を『M-1』に吹き込んだ。

 誰も知らない無名の存在であろうが純粋に面白ければ笑いがとれるというのは理想論だ。現実には、キャラクターや人間性、芸風が認知された状態のほうがウケやすくなる。『M‐1』で顔を売った2人は、2005年以降『オンバト』では負け知らずになっていった。

藤田「“この人たちは面白い人だ”って信用ができたんでしょうね。“応援していいんだ”って」

 一方、お笑い界においてかつて「『オンバト』に出れば世界が変わる」と言われた状況は変わりつつあった。藤田は「僕は『M-1』は決勝に1回行ければいいやと思ってたんで、ここで7位になって“よし、じゃあ次は『オンバト』頑張ろうかな”って感じでした」と語るが、対して大村は「僕はだいぶ『M-1』に気持ちがいってましたね」と振り返る。

大村「2005年に準決勝で負けたのが相当ショックだったんです。笑い飯さんや千鳥麒麟を見ていても、一度決勝に行くとその後は行きやすくなるイメージがあったんですよね。だから俺らもまた行けるだろうと思ってたら、落ちた。それこそ『オンバト』初挑戦でオフエアだったときと同じくらいショックでした。給料は上がってバイトをやめられるぐらいにはなってましたけど、そこから“返り咲かなきゃ”って『M-1』一色になったんじゃないかな」

藤田「僕は“何言ってんの、こいつ”ってなってましたね(笑)。“もういいよ、1回出たじゃん”って。“『M-1』で優勝したい”って言われても“いや、無理に決まってんじゃん”って思ってました」

 温度差は多少ありつつも、“勝てる漫才”を磨くべく、ここから彼らは試行錯誤を重ねていくことになる。

文=斎藤岬

トータルテンボス
藤田憲右(ふじた・けんすけ)1975年12月30日生まれ。静岡県出身。
大村朋宏(おおむら・ともひろ)1975年4月3日生まれ。静岡県出身。
小学校の同級生同士で1997年に結成。NSC東京3期生。『M-1グランプリ』2004年、2006年、2007年ファイナリスト。『爆笑オンエアバトル』第10〜12代チャンピオン。現在のレギュラー番組は『くさデカ』(テレビ静岡)ほか。
YouTubeチャンネル「SUSHI☆BOYS」https://www.youtube.com/@sushiboys9529

 

 

 

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