『オンバト』と『M-1』でネタを使い分け

 肌感覚頼みで使い分けを決めていたわけではない。『M-1』ラストイヤーを迎える2007年の全国ツアーでは、各会場で観客にアンケートをとって反応をリサーチしたという。

大村「どの会場でも圧倒的に支持を得るネタが1本あったんです。つまり万人ウケするってことだから、これは『M-1』向きじゃないんだろうな、と思いました。結局、アンケートで4〜5番目くらいだったネタで挑みましたね」

 昨年の『M-1』で、過去の決勝を徹底分析した令和ロマンが勝利を手にしたように、芸人が策を練って賞レースに挑むこと、そしてそれを公言することは今や珍しくない。しかし15年以上前はまるで事情が違っていたはずだ。

大村「令和ロマンに比べたら僕がやっていたことなんて赤子みたいなもんですけど、分析という意味では先駆けだったかもしれないです。当時、同じようなことをしている人はいなかったんじゃないですかね。ずる賢いことをしていると自認してたから、大々的には言ってませんでした。周りから“あいつら卑怯だ”って思われそうだな、って」

 徒手空拳で、自分たちの笑いがどこまで通用するか挑む――それが格好良いとされていた時代だ。大村は自分たちがやっていたことを「小細工」と表現する。

大村「自分たちに才能があるとは思ってなかったから、小細工して試行錯誤してどうにか取っ掛かりを見つけないと、と思ってました。“俺たちはこういうお笑いがしたいんだ”っていう確固たるプライドがもともとないんですよね」

藤田「だからどこか中途半端というか。大衆ウケを狙うんだっていうイデオロギーも別にないし」

大村「何もなければ、基本的にはウケたほうがシンプルに楽しいから『オンバト』的な方向に突っ走ってたと思います。でも途中で『M-1』が出てきたことで“それじゃダメかもな”と。本当にフラフラしながら目の前のことに対して対策を練って、それが良くも悪くもうまくいったってだけですよね」

 リサーチと分析は実を結び、迎えた『M-1』ファーストラウンドで披露した「ホテルマン」のネタは現在でも「『M-1』史上最高レベルに面白かった」と語る人が少なくない。だがしかし、夢見た王座には手が届かず、結果は準優勝。そうして彼らの『M-1』ストーリーは幕を下ろした。

文=斎藤岬

トータルテンボス
藤田憲右(ふじた・けんすけ)1975年12月30日生まれ。静岡県出身。
大村朋宏(おおむら・ともひろ)1975年4月3日生まれ。静岡県出身。
小学校の同級生同士で1997年に結成。NSC東京3期生。『M-1グランプリ』2004年、2006年、2007年ファイナリスト。『爆笑オンエアバトル』第10〜12代チャンピオン。現在のレギュラー番組は『くさデカ』(テレビ静岡)ほか。
YouTubeチャンネル「SUSHI☆BOYS」https://www.youtube.com/@sushiboys9529